冬だ。家の中が冷たい。
クリスマスを祝った昔が夢のよう。
外のほうが温かいかも。
寒くても自転車に乗れば、冬の魅力を楽しめる。
逆光と朝霧
泥道も美しい。
いまどき山奥でも土の道がないのに、ダートを走れるなんて有難いことなのだ。
そして毎度の川岸風景。その川面にきらめく光
このようなささやかな美しさが人生を意味あるものにする。
すごくつらいこと、寂しいことがあっても、一瞬それを忘れて生きてることを肯定できる。

不景気だとか、未来に希望が持てないなどといったことは歴史の中ではごく普通の状態だった。
その中を行きぬいてきた人間を慰めた、風景の美しさが失われる。大きな悲劇だ。

ところで、渡り鳥のシーズンである。決して美しいとはいえない安川にも鴨の姿が多い。
この広い地球、綺麗なところはいっぱいあるのに(近くの太田川だって10倍以上美しいのに)選りによってこんなところに帰ってこなくてもいいのじゃないか。
こんな疑問を抱く俺は安川を愛していないね。ゴメン
帰巣本能なんだ。(この言葉、ずっとキスウホンノウと呼んでた。寒くなるね)選択じゃない。
これだけでなく生まれながらに決定していることって少なくない。

この帰巣本能も電磁波を頼りにしているらしくって、ケータイの普及で磁界が乱されて帰れない鳥が増えているそうだ。ううむ、影響はそれだけではないだろうなあ。
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納豆を食べる時、あなたはご飯にかけて軽く混ぜながら食べるだろうか?
また、生卵を食べる時も、解きほぐした卵をご飯にかけて食べるだろうか?

私は別の容器に入れて食べ、ご飯とは混ぜないことが多い。
「なんか変な感じ。タマゴご飯と違う。」と女房は言う。
正しいタマゴご飯がどんなものか知らないから、「これはタマゴご飯なのであって、タマゴご飯ではない」と答えたけれど、どうなんだろう?一般的には。

絶対にご飯と混ぜないというのではない。混ぜることもある。
それをすると、白いご飯が全部黄色になってしまう。あたりまえのことだが。
でも白いままにしておけば、タマゴとご飯、またキムチとご飯、海苔とご飯など多様に組み合わせを楽しめる。

ご飯にかける・・・・と言うことを考えていたら、ふとサイモンとガーファンクルの「明日にかける橋」を思い出した。
「時をかける少女」というのもあったなあ。

この重苦しい世界状況にあって、こんなことを考えている。
ま、これも思考と言えない事はないだろうが、実のところ俺は終わってるのかもしれん。
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女房が旅行でひとりになった休日、(最近こんなことが多い。以前はおれが旅行で女房がひとりだったものだが)サイクリングに行くことにした。
今回は新調のロードレーサーで走りたいから、目的地近くまでは車に積んで行くことになるが、できれば車は1時間以上運転したくない。
ということで、宇品に車をとめてフェリーで島に渡るプランに決定。
駐車代がかからない元宇品灯台横から自転車で走り始めたら、オッサンや小学生がゴミ集めをしている。
大型ゴミがいっぱい捨てられているのだ。
人目の少ない所だけに、有料化で煩雑になったゴミ捨てに対応できずに、近場の宇品に捨てる輩が増えたようだ。

島の道は、晴れ渡った空、青い海、緑のミカン畑と揃って気分は最高。
先月に登った烏帽子岩山が向かいに見える。あんな急な崖を登ったとは信じられない。

峠から秋月の集落を見おろす。
新しい建物が少なく、昔ながらの光景が嬉しい。
さきほどから走っているよりも止まって眺めている方が多い。
こうなるとサイクリングとは言えないので、走りながら撮れる超小型のデジカメが欲しくなるが、立ち止まって眺めているから気づくこともある。
例えばこの風景、線として取り出したら・・・・(横着してソフトで処理したもので、誤魔化させてもらう)
デザインされたニュータウンではこんなに複雑で自然な響きあいは得られない。長年にわたる地形との折り合いから生まれた無作為の産物。
「デザインなんて浅薄なものだ。」と言いたいけど、これからは「無作為の産物」をもデジタル化して作り出すようになる。

海岸沿いの道を走っていると、なんやらえらく埃っぽくなってきたので足早に通り去ろうとしたら、なんと船の解体場でドロドロとぐじゃぐじゃの混沌世界。
休日で稼動していなかったのでゆっくりと見学させてもらう。

昔から広島の画家連中がモチーフにしているところか。
確かに魅力たっぷりだ。
なにがここまで引きつけるのか?
ドロドロと、ぐじゃぐじゃ
そこから何やら形らしきものが生まれる。
日本神話の出だしみたいだ。

しかし日常世界はゴミで溢れ、「何もないスッキリ」空間への憧れが強まっているのか、「最近の若い人」の(流行の)絵画はとても淡白で清潔になっている。
アジアの大都市が無機質になっていったように。
といっても新築された宇品の港湾ビルは空々しく薄ら寒かった。3年経ったら古びてしまいそう。
一方、このドロドロと、ぐじゃぐじゃ
たまらない。

大柿を越えて深江までいくと道も狭く車も少ない。やっとひなびた瀬戸の島になった。
静かな入江を眺めながらお弁当を開く。
網を引きながら漁船が周回している。風の音だけの静かな環境で、漁師はディーゼルエンジンの音を一日中聞きながら仕事をする。
労働は軽減されたが、人間は幸せになっているのかな?

この先、道路はみんな行き止まり。いまどき珍しいことだ。
野山の風景もそんな手付かずの風情が感じられる。
しみじみしていたら、オフロードのバイクがやってきて、中年オヤジのライダーとあれこれ言葉を交わす。
行きずりの人って、みんな良い人ばかりだ。
一緒にいるといがみ合ったり、憎んだりする。
だから行雲流水、旅人の感覚って大事なんだな。

春のように穏やかな日差しも、帰りの船に乗った3時過ぎには怪しくなる。
おもえば冬至も近い。

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ロックンロール・ベスト10
小説家や音楽家が選んだ10枚のシングル盤という一覧をみて、自分ならどれにするかと考えてみた。
まずアニマルズの「朝日のあたる家」
初めて買ったレコードだ。
これを選んでる人が日本人では多かった。同世代だからか?
イントロのAm-C-D-F-Am-E7 と続くギターのアルペジオ(分散和音)をバックにしたエリック・バートンの絶唱。
オルガンのソロもすごい。
次にイントロの魅力と言えばローリングストーンズ「サティスファクション」
なんとかこのディストーションがかかったエレキの音を出そうと、マイクやスピーカーを無茶苦茶につないで試みたものであったことよ。ホンマ、エレキが欲しかった。
イントロのギターでパッと曲が浮かぶ。そのリフで比べると、ビートルズ「ハード・デイズ・ナイト」は「ジャーーーン」だけで決めてた。さすが。
「Day Tripper」や「 I Feel Fine」も捨てがたいがビートルズは、別格だからこの1枚だけで。
むしろベスト10なら、ピーターとゴードン「愛なき世界」とかサーチャーズ「ラブポーションNo.9」などを選びたい。
このノリならロイ・オービソン「オー・プリティ・ウーマン」も。

さてシングルヒットとなると、この手のタイトルは欠かせないね。
パット・ブーン「砂に消えた涙」、カスケーズ「悲しき雨音」。「夜霧の・・・・」はもういいか。

日本からはスパイダーズ「フリフリ」
この後スパイダーズは歌謡バンドになってしまったが・・・
そしてベンチャーズ「ワイプ・アウト」  そうベンチャーズは日本のバンドです。

この短い文章を書くあいだに「ラブポーションNo.9」のポーションはPortion(分け前)でなく Potion(媚薬)であり、No.9は英軍の万能丸薬であることを探り当てるのに90分も使ってしまった。
そんなに暇だったか?
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12月。卒業制作も山場に。そのなかのちょっと奇妙な光景
そして年末といえば掃除。
手軽にささっと掃除できるものを求めて、充電式の簡易電気掃除ブラシのようなものを買ったら、それが全然非力で使い物にならない。
業務用の水でも土でも吸い込むようなものを考えたりしたが、そんなものを身近に置くのも嫌だ。
ということで、こういうものを揃えた

箒、やっぱりこれだなと思わせるだけの実用性がある。
しかし置き場には困る。人目に触れないところに仕舞っておかないと、何故か気になって落ち着かない。
嫌な来客が早く帰ってくれるようにと、逆さにした箒を立てるという俗信があるように、そんな負のパワーが発散されているのか。魔女も箒にまたがって飛ぶ。むべなるかな。

箒を使うと塵取りが要る。あれこれ使ったが「掃除のおばさん」がよく使っている、蓋が閉まってしまうタイプ。これはエッジにつけられたゴムが細かなゴミでも掃きいれやすくしているし、優れものだ。
このデザインを考案した人は?と調べてみたら、「ぶんぶく」というメーカーの発明になる「文化チリトリ」が短縮されて通称ブンチリとなったそうだ。
「文化」とは「新しい」という意味だそうで、文化住宅、文化なべ、文化包丁などがあったのでWEBで調べてみたら
結構良さそうなものが多かった。
画像のNo.3はブラインド用のクリーナー。6本の円形毛ブラシが付いていてブラインドに付いている羽の部分(1枚1枚の羽をスラットと呼ぶそうな)を両側から拭ける。
No.4や5については説明するまでもない。
さて、道具はそろった。
数日後、俺の部屋は塵一つなく整然と清められているだろう。
なんてことあるはずはないだろうが
ともかく綺麗にしたいという意志はある。
落ち葉のように散らかっているけど美しいというのが理想だが、日常品でそんな状態は作れない。
何故だろう?
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折り畳み自転車のハンドル幅が50cmもあって、ペダルを踏み込む時に上体を使ってハンドルを手前に引こうとしても力が出せない。
また水平のバーハンドルなので腕のポジションに変化がつけられなくて疲れる。
プロの自転車選手は数ミリの調整にこだわる。俺だって数センチにはこだわる。
例えば机の高さでも大きな問題だ。
このことについては、このコーナーの第一回目に書いた。もう三年前になるか。
覚えているものだ。
それがこれを書きつづけている効能なんだけどね。

ということでハンドルを45cmに短縮し、両端にバーエンドバーをつけるという改造を行った。
アルミ製なので金ノコで簡単に切れる。
牛の角みたいなバーがついて精悍な印象。坂道などでの踏み込みも楽になった。
こいつは目的地の向かって邁進するというよりも、あちこちと寄り道し、よそ見をしながら散歩するタイプの自転車だ。
用途にあわせて変えるなんて、自転車でなければできない贅沢だ。

ところで可部線の可部-三段峡間が11月限りで廃止となる。
あまり利用しなかったけれど、この太田川渓谷を愛し、駅トイレを頻繁に使用したものとして最後のお別れに行った。
やはり水遊びで子供達と何度も通った「鹿の巣(かのす)」で鉄橋を渡る姿を見たい。
いつものように間野平の発電所前に車を止めて自転車に乗り換える。
途中から人懐っこい犬がついてきて、いつまでも戻らない。スピードをあげると同じように力走するし止まると周囲で遊んでいる。
可愛いものです。
列車はいつも1両でのんびり走っているのに、なんと4両編成、しかもいっぱいの乗客。
鉄橋を渡る音が全然違う。
黄色や褐色に染まった山並みを背景に、さようなら

この日の午後から冷たい北風が吹いてきた。
おお寂びしや、哀しや。