花屋の店先にアジサイが並んでいる。
すごく日本的な花だと思い込んでいたけど、先日、BSで放映されたビスコンティの「ベニスに死す」のなかで、ホテルに飾られたアジサイの活け方に驚かされたので、この花を見る眼が変わってきていた。
しかし何よりも驚いたのはその表示。
「ハイドランジア」なんて気取ってるというかバカみたい。どうしてアジサイと書かないのだろう。
なんてことを考えたとき、ふと油絵の具の「ハイドレンジャー・ブルー」を思い出した。
これだったのか、てっきり化合物の名称かと思っていたが、なるほどアジサイの青紫の色だ。こんなことも知らないで30年間も絵の具を使ってきた。
帰宅して辞書を開く。アジサイは椿と同様に19世紀ごろにヨーロッパに入ったようだ。
ついでに牡丹は英語でPEONY、絵の具でも在りますピオニーレッド。確かに牡丹のようなピンクになる。
アイリス、アザレア、オーキッド・・・やれやれ英語ばかり。

ところで、前回に登場の牡丹は、どうも「シャクヤク」だったらしい。
「いずれがアヤメかカキツバタ」とか「立てば芍薬、座れば牡丹」というぐらいだから同じようなものだが、花の世界は深い。
安直に話題にしたのが間違いだった。
こういうときに辞書で植物を調べていると、裸子植物とか、花弁は・・とか、ガクは・・などという専門用語が並んで、いくら読んでも一向にそのイメージがつかめないような記述が続いてウンザリさせられる。
分類して整理することが自然の理解になるのだろうか?学校で18世紀リンネの方法論を生物として教える。これはおかしくないか?
これはむしろ哲学史だろう。あるいは情報処理だ。


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たくさんの牡丹をいただいた。
じっくりとこの花を見るのは初めてのこと。
あでやかというか艶がある。何故か中国は明の時代が連想される。
研究室と自宅に分けて置き、スケッチしたり、撮影したりと試みる。
写真ではいろんな構図、背景、照明が試せる。しかし、そのなかのどれにするのか、またプリントする前のトリミング、明暗の調節、細かな修正など、本気でやればすごく時間がかかるものだ。
というより牡丹がそんな意欲をかきたてる。
朝方、鉛筆でスケッチしていると花びらがゆっくりと開いてくる。
葉の形にユニークさに気がつくのも描くことのメリットだ。
しかし、バラやケシみたいになったりして思うように描けない。画材を変えて何度か試みるが、初めてのモチーフに苦しむ。
そこでいつものように図書館へ。
海北友松(かいほうゆうしょう)の描いた桃山時代の障壁画、これが一番と感じた。
様式が必要なのだな。
リアルだけでは絵にならない。相当にパターン化しても不自然さを感じさせない構成力は、真似できるものではないが。
こうやって出来合いの絵のイメージを参考にすると描き易いし、カッコもつく。
だが、活力が消える。
おもしろい。絵を始めたときのような感慨を久々に味わった。

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通勤途中に面白いものを見た。
カッコいいじゃないかと立ち止まり撮影。すると足元のプレートに装置の説明が在った。GPS、あのカーナビを機能させている仕組みを使った土地測量のための基準点だという。
Grobal Positioning System がGPSの意味だった。上空2万mにある24個の衛星で位置を知る。これで世界の何処にいても4つの衛星からの情報が得られるというが、2万mとは意外に低い高度だ。世界最高峰が8000m台でジェットが普通は1万mを飛ぶ。
俺の通勤距離は11km。
常々疑問に思っているがいま、世界中で地に足が着いていない人、飛行機で空の上を飛んでいる人の数はどれぐらいなのだろう?大都市の人口ぐらいになるのでは?また通信衛星、気象衛星、軍事衛星とどれだけ衛星が上空を周回しているのか?
空は広いがすごく薄っぺらい。そして重い。

駅前まで自転車で走り、この光景に再び立ち止まる。
撮影しながら、なぜこんな殺風景に、と考える。
立体交差やガード下、これは俺の原風景なのだ。
東海道線の上と下を交差する大宮通り。25年前までは上を市電が走っていて、下をくぐる道は石畳だった。
このことは昨秋ここに書いた。ブラッサイの夜のパリ。
ともかく鉄道の周辺には懐かしい風景がある。
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新入生のための合宿に参加。
大学生活になじめるようにと昔から行われている行事だ。

そこでの夕食作りで使った材木をドラム缶で燃やしたら、大きな炎が舞い上がった。
急いでカメラを取ってきてシャッター速度を変えながら撮影する。
多様な形が取り出せて、水の撮影よりも楽しめる。
その結果を見ながら、翌日「描かれた火」について調べてみた。
大学図書館の所蔵傾向もあるが日本ほど多くの火を描いた文化は世界に無い様に思える。
たとえばこの12世紀の絵巻物「平治物語」、すごい。
密教では不動明王が多く描かれた。その光背は燃え盛る炎。
このように流動的でリズミカルな曲線を構成できるのは超一流の腕前だ。
模写してみるとそれが理解できる。

ところで今回はマンネリ対策として、ひとりテントで眠り夜空を堪能するという企画を立てた。
曇天で星は拝めず、深夜に雨が降り始めて途中から車の中で眠ることになってしまったが、実に久々のテント体験。いろんな場所で寝てみたい。
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連休の日記
寂地峡へ登山に。
この近辺では最高に美しい渓谷だろう。
新緑と清流を満喫。
中高年ばかりの山に、山口の県立高校山岳部の若者たちがたくさん。
旧制名門校の雰囲気だ。

庭木の刈り込みをした。形よく剪定できると快い。
こんなことをバカにしていたのに。
保守的になるということは、こういうことなのだ。
今のままを保つ工夫と労力。トラッドとは何だろうとか思いながら作業している。
でも女房から見ると僕の剪定は、定石を無視した自分勝手な独りよがりということだ。
他人の意見に従うのが嫌という性分。芸術をやるには、まだ少なすぎるのだが・・・・

職場関係者で飲んだ。その前に2時間以上街を物色。
無印、ハンズなど。
インテリアへの情熱が昔は結構あったのに薄れている。文具ぐらいか。
その文具だがハンズの展示が少なくなっている。特にノート類は貧弱だ。
売れないのだろうか。これほど若者が勉強しないと言われているから。
LOFTに行ってみたくなった、久々に。
飲み会は盛り上がったけど、この会費があればタワーレコードで見たジャンゴ・ラインハルトの12枚組みボックスセットが買えた。
アストラムで帰る。わびしい地下街、昔懐かしい光景が広島にも現われた。
この電車のおかげで会費並のタクシー代を払わずに済む。ありがたい。
タクシーのメーターが上がるのを見るのは地獄の苦しみだから。
もっともタクシーに乗るときは天国状態で誰かさんに送ってもらっているのだけど。

この絵を見て、何処なのかわかる人は映画通だ。
レイトショーで「不思議惑星キンザザ」を観る。度外れたギャグに爆笑、異次元の想像力に脱帽。
この夜は平和大道りに駐車。10時からただになる。15分ほど歩くことになるが、これもいい。母親が、映画の帰りにぶらぶら街を歩きながらストーリーを反芻する喜びを話していたことを思い出す。

再び登山。大佐周辺、強風で飛ばされそうだった。
午後は雨になり、八幡高原へ。
帰宅したら大型テレビが届いていた。
「百一夜」「エリンブロコビッチ」「ギタリストの恋」「本当のジャクリーン・ディプレ」など見落としていた映画を観る。

再びレイトショーで「マルホランド・ドライブ」を観る。40度を越す高熱でうなされて見る悪夢の世界。2年に一度はデビット・リンチを観たい。しかし、音は度を越しすぎているね。

あとはテニス三昧。本は一冊も読まず。これからは学生に読書を勧めません。

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連休になると高速道路を利用する機会が多くなる。
芸北の登山では戸河内まで高速を利用すると、ほとんどのところに1時間で着く。
そのとき、必ず広島北ジャンクションを経由するのだが、ここで道を間違えたという人が多いので笑い話が盛り上がる。
理由は色々あるだろうけど、福岡方面とか岡山方面という表示に戸惑うのではないか。
戸河内に行こうと思ってるときに、いきなり福岡の表示では考え込んでしまう。
大多数の利用者が戸河内か吉和で降りるのに配慮がなかった。
この頃は「戸河内方面」の小さな看板がいくつも付け足されているけど、最初に設計した人たちが地元には縁の無い遠くの人だったことがわかる。

そんなことを考えながら地図を見ていたら、神戸の須磨にこんなジャンクションがあった。
「ええっ!」と思わず叫んだほどのややこしさ。
絶対こんなところは走れないぞ。
ここを行き来している人がいることに感心し、自分が恥ずかしくなってくる。
田舎から東京に出てきた人が感じる恥ずかしさって、こんな感じなのだろうか。
車の運転だけでなく、ここで暮らすことを考えただけでも腰が引ける。
神戸の北部は高速が絡み合うように走り、ニュータウンが点在する別世界になっている。
こんなところで、あの奇怪な殺人事件が起こったのだ。

地図を繰って京都になると一本も高速道路が無い。
ホッとする。
(地図はいずれも昭文社のマップルから)
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毎日が特急列車みたいに過ぎていく。
これまでと違うことを、毎日なにかノルマを決めてするとか考えないと・・・
と書いたけど「ノルマ」って何語?
辞書をひいたら、なんとロシア語だった。
知らないことって一杯あるんだなあ。あたりまえだけど。
気づいたら「知らないこと」の密林に囲まれている。そんな感じがしてくる。
ノルマの近くに「のろま」
「のろま人形」というものが昔あったそうで、その絵が載っている。へえ〜。
ページを繰ると和歌ものってる、なんでもありだ。
 
花は散り その色となくながむれば むなしき空に 春雨ぞふる
 
新古今 800年も昔とは思えないね。
こんな調子であちこち眺めていたが、こんな時間が大切だ。忙しいのはよくない。
さて、帰って猫でも撫でよう。
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やっぱり飲んでしまった。蒸し暑い中を力走した後のビールは、よく回ってうまい。
ジョギングをする人がRunner's Highといわれる高揚感、陶酔感を味わうと聞いているが、同じように血の巡りが良くなるサイクリングでも似たような状態は感じる。
思考の流れも良くなるのか、いろんなことを考えつくのだが、惜しいことに止まった途端に忘れている。
しばしば夢の中でもあることだ。
これは錯覚なのか、本当に「大きな魚」を逃しているのか?それを確かめるためにICレコーダを購入しようかと思ったら、えらく高いのでやめた。
でショルダーバッグの幅広いベルトについてる携帯入れに、ペンと縦長に切ったメモ帳をいれた。
あとはアイデアが湧き出るのを待つばかりだが、それからはとんと出ない。
そのうちメモが入っていることも忘れるのだろう。
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今週末から連休ではないか。ヤレヤレって感じだな。
先日はテニスのサーブ改造を試みて腰痛になってしまった。
もっと自転車に乗れってことか、ビールはいい加減にしろってことか。
それで、きょうも自転車通勤なのだが、コレで帰ると飲みたくなるんだよな。

何処へも行く気がしないから、家でテレビを見て寝転がっていようか。
ということで、テレビを買い換えたくなった。10数年経って、もう薄暗いシーンなんか何もわからない、幽玄画像になっている。これで全仏オープンテニスやワールドカップは、ちと辛い。
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We should be ready for the final run.
英国からのメールにあった一説にドキリとする。
確かに、自分では走っているつもりでもスピードはかなり遅くなっている。
そしていつまでも走りつづけることはできない。

気候の厳しい北国では、日本のように長生きする人は少ない。
50歳を過ぎると、もうあと一周しかできないと覚悟するのか。

この言葉をプリントしたカードを何箇所か目に付くところに置いた。

memento mori  メメント モリ  死を想え。
中世でよく使われた格言。
こんな言葉が再び浮上してくるのかもしれない。
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町内会の会合で、朝から飲んで酔っ払ってしまった。
好天の休日がもったいない。女房が運転するというので、芸北の山に出かけた。
先日に紹介したカタクリの花がもっと感動的に咲いていると聞いた山が目的地である。
吉和までの高速はガラガラに空いている。これも造る事だけが目的のオブジェのひとつだ。
人類の歴史を振り返れば、本当に必要だから造った物って、どれだけあるのだろう?
在れば便利なだけでなく、無くてはならないものなんて思いつかない。
それにしてもガラガラだ。
これでは維持費の方がたいへんだろうな、なんて車に乗って化石燃料を徒に消費しながら考えている。
道路沿いに植えられた満開の水仙を楽しんで、1時間で寂地峡に到着。
十数年前にキャンプに来たことがある。
滝と水を楽しみながら、急坂を登る。トンネルを抜け岩場を這い上がっていく道は、なかなかに険しい。装備を固めた中高年のグループが助け合いながら進んでいる。、スポーツ用とは言えサンダルで来たことを少し悔やんでいたら、なんと若い女性が小指の先ほどしかないヒールのサンダルで岩場を降りてきた。もちろん彼氏が杖代わりになっているから歩けるのだけど、ここまできたら立派。
ヒマラヤを目指す登山隊の荷物を運んでいた現地の雇われ人達が裸足だったことを思う。

カタクリまでは二時間かかるので諦める。二十代なら1時間で走って登れただろうし、帰りが遅くなることも気にしなかっただろう。分別というより体力の問題だ。
何かにつけ「口ほどでもない」ことが増えている。

昔からそうだったか。
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旅行ではカーナビにすごく感動した。数メートルという誤差の範囲で目標を認識している。
どんな山奥にいても、自分の位置が衛星によって把握されている。
一人じゃないんだ、という安心感と共に見張られているという居心地の悪さ。
このシステムの精度はアメリカ軍によってコントロールされているとか。
湾岸戦争のときは、かなり曖昧にされていたと聞いた。

えらく感心していたら嫁ハンのケータイにも居場所を表示する機能がついていて、田舎にいてもナントカ郡ナニナニ町と正確に教えてくれる。

こりゃ、いかんですぞ。何もかも知られてしまう。
電話がかかってきて話しているうちにマイクロミサイルが飛んできて吹き飛ばされる。そんなことも可能だ。中国軍が兵士のケータイ所持を禁じたらしいが、当然だろうね。
母親が「危ないから帰ってきなさい」とか話している間に情報が敵に筒抜け。

数年後にはケータイを持たずして生きられなくなるかもしれない。ヤバイなあ。
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向原にカタクリの群生があるらしいというので、出かけた。
5月の連休を思わせるほどに山々の新緑がまばゆい。
今年はどんな夏になるのだろう?ちょっと心配になる。
カタクリは民家の裏山に咲いていた。渋い清楚な草花である。
帰りは高田から土師ダムへ。盛りは過ぎて、散り行く花びらばかりだが、対岸がピンクに煙り見事な風景だ。あの吉野もこれぐらいは在って欲しいな。

帰宅して昼食をとりながら地図を見ていて驚いた。
広島から向原までの距離は、京都と奈良に等しい。
俺にとっては奈良までというと、気軽に出かける距離ではなかった。
関西と広島では時空感覚が2倍、いや3倍ほど異なっている。
もちろん車と道路状況による変化だ。50kmぐらいすぐそこだ、という人もいる。
ロスアンジェルスなんか関東平野ほどもあって、車がなければ乞食でも生きていけないとか。

空間は距離だけでなく密度によっても測らなければ正確ではない。
自宅の窓から見える風景の中に、フィレンツェがすっぽり収まってしまうなんて、変な感じだが、大阪市だって広島市よりも小さいのだ。
密度が高ければよいというものではないけどね・・・何故か気になることだ。

そんなことを考えながら近所を歩いていると、真新しい制服の高校生、小学生に出会う。
大阪に住む甥の通う中学には制服がない。一生、制服に縁がない人もいる。
このあたりでは考えられないことだ。生活感覚にも大きな違いがある。

この春から、職場で上履きが廃止された。これが「土足化!」と呼ばれている。
広島の舗装率が低くて、歩けば泥だらけになるのなら理解できるが、土足とはなんという感覚だろう。
でも、あまり強くは言えない。自分の文化を否定されたように感じる人がいるから。

俺は地方文化の独自性はとても大切だと考えている。守るべきものは守ってもらいたい。
上履きがふさわしい和風の校舎が多くあって、磨きこまれた木の床を大切にしたいというのであれば、わかる。それどころか広島の学校施設は日本でも最悪のお粗末さなのに、上履きによって何を守ろうとしているのだろう?
それを推測すると悲しくなるね。兵庫県だったか、中学生の男子は全員丸刈りに、とかいうのは?どこにでも変なことがある。それが長年変わらないところが、というか変わらなくてもやれるところが教育界の特長だ。
これは政治の世界と似てる。

一方ではケータイなんか数年で日本中を変えたのに。
自動車も日進月歩で進化している。
こういう企業活動にのめり込み過ぎて、のんびり考える時間がなくなったから、教育や政治が変えられないでいるのかもしれない。
忙しくしてこのホームページの更新も出来ないでいるとき、何も考えていないな。
世界のことについては。

きょうは暇だった。いいことだ。
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ビリー・ホリデーを聴きながら出勤した。
こんな時間に聴くのも悪くない。
こういうものを聴いている人は多くないだろうが、なかにはナンビワラ族の宗教儀礼などというレアものに耳を傾けている人もいるに違いない。
この時間、いろんな人が車の中や電車の中で、それぞれの世界に浸っているのだろう。
その点では何を聴いていようと同じだな。
歩いて仕事場に行って職人仕事の準備をするというような人のほうが、ごく少なくなっている。
親子3代で仕事を継承するとか・・・・
落ち着いた静かな暮らしを営む人が増えてほしいな。
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花の旅 第2回

翌日からはレンタカーでの旅になる。最近、道に迷うことが多いのでカーナビ付きを予約しておいた。
迷うことなく新宮市の熊野速玉神社へ、そして本宮神社へと川に沿って上流へと走る。
僕にとってこれらの神社は霊力を失っているが、熊野川と周囲の山々は荒々しく巨大な自然の力が感じ取れる。圧倒するような量感の山に挟まれた深い谷間から流れ出る熊野川。その広い河原は小石で埋め尽くされている。このような周辺の環境は現地を訪れないと理解できない。

十津川渓谷には悲しい思い出がある。
中学の時、Kという青年体育教師がいた。
イチョウの木に縄を巻きつけ、それを相手に上半身裸になって湯気を立てながら空手の飛び蹴り技を練習していた。
何か問題があるとK先生を呼びますよ、というと手の付けられない生徒も大人しくなる。それほど乱れた中学だったのだけど、彼は光っていた。名うてのワル、不良生徒からも恐れられ、また慕われていた。
でも車の運転は下手で校門で生徒にぶつかったり、そう言えば長嶋も同じだったな。
その人が結婚し、新婚旅行で奈良から南紀に向かう道中で、離合する車に譲ろうとバックしたときに、誤って踏み外し谷底に転落して二人共に亡くなってしまった。
兄貴の担任だったので、連絡の入った夜のことを、はっきりと覚えている。
一番「死」とは無縁に思えた人間が死んでしまった。
すごいショックだった。
今回も渓谷を走りながら、彼のことが脳裏を離れなかった。
人が次の世代に残せること、いろいろあるけど歴史に残る有名人だけでなく、無名で埋もれたと思われる人たちも、たくさんの遺産を残している。
この集積が歴史なのだろう。

道中に名物の吊り橋がかかっている。長さ300m、高さは50mで足元の板以外は金網で周りが素通し、また大きく揺れるのでかなり恐ろしい。
映画「The Load of the Ling」を見ながら、千年前の日本の、穏やかな奈良や京都の都から熊野への旅はこんなものだったのかもしれないと想像した。
しかも目的地には絵に描いたように優美な滝が流れ落ちている桃源郷(那智)がある。
ファンタジックな要素がそろっている。

この十津川の谷底から、どんどん登って登って標高900mに高野山がある。
千年近い杉の巨木が群生する奥の院には、苔むした昔の大名、今の大企業の慰霊碑がぎっしり並んでいる。
「シロアリ供養碑」には笑ってしまったが、雰囲気に似合わない俗気が興醒めだった。
この日も宿坊に泊まる。
若い坊さんが荷物を持って部屋へ案内してくれる。きびきびと働いて行儀が良い。
なるほどこれが本当の宿坊か。
真新しい畳の上にお膳に乗せて精進料理が運ばれる。
淡白な味付け、もちろん高野豆腐も添えられている。

朝は7時から1時間近い法要があり、宿泊している10数名が参加した。
真言密教だけあって、お経や鳴り物にチベットの印象が浮かぶ。
比叡山の延暦寺でも感じたことだが、こんな世の中でも若い人達が僧侶となって修業に励んでいる。
どのような動機で、縁でこの世界に入ったのだろう?
心強いというか、在り難いことである。

伽藍に朝日がさして湯気が立っていた。昔の日本には、このように大規模な寺院がたくさん存在していた。
現代の企業ビルのような中心のシンボルになるようなものだったのだろうか。
そのなかでも高野山は古代からの民間信仰に大天才の空海がもたらした密教によって、飛びぬけた存在だったのだろう。
ここまでくると、歴史的なつながりからも、花の大名所としても吉野山に行かない手はない。
ということで、急峻な道を下って紀ノ川に出て上流へと向かう。

まだ時期的には早かったけれど、ショボイ桜の量には幻滅した。茶店がぎっしり並んで花が見えないのも興醒めで、京都の母親が言っていたとおりだった。
不機嫌な思いで、「中千本」まで歩く。
早々に立ち去ろうとしていたら吉水神社というものがあり、女房の話では、静御前がどうこうしたとか、源氏がどうとか。
行ってみたら、歌舞伎「義経千本桜」の舞台となったところだった。
嫁さんの教養にちょっと関心して、そのとき気づいた。ここの桜は量や質で云々するべきではない。古来より詩に歌われ伝説の舞台になった歴史を、振り返らせる、そのきっかけとして味わうべき桜なのだ。
役の行者、修験道、西行、和歌、義経、歌舞伎・・・
そうかそうか、勉強して出直してこよう。
ということで、この後は紀ノ川に沿って和歌山へ。道中は桃の花が満開。それが延々と続く。
西国2番の粉河寺も桜の名所。
梅は散ってしまったが、レンギョウ、桜、桃に新緑と春を一斉に満喫する旅でした。
1週間ぐらいはこの余韻を楽しめそう。
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旅に出て桜に浸った。
まずは京都から話そう。
いま父親がぎっくり腰で歩けないのだが、やはり桜が気がかりで落ち着かない様子だった。
ちょうど妹も子供たちと来ていたので、ワゴン車をレンタルすることにする。
嵐山、大覚寺、大沢の池、広沢の池(水が干上がっていた!)、宇多野、仁和寺、竜安寺、金閣という春のベストコースをドライブ。
昔、よくバイクで走ったものだ。
どこも八分咲きで見事。でも小さな子供は桜なんて全然おもしろくない。僕もそうだった。そこで大覚寺では花見団子、今宮神社で「あぶり餅」を食べる。
そこから加茂川の土手を走り、植物園から宝ヶ池へ。再び加茂川沿いを走り(ここが一番見事だったから)今出川から銀閣、南禅寺、知恩院、そして東山七条から帰宅。
5時間60kmのゆっくりドライブで、桜を堪能した。
座席の高いワゴン車なので車の中からでも鑑賞できたが、このコースはできれば自転車で走りたい。駅前から嵐山までは相当遠いので健脚向きだけど、植物園までの加茂川沿いなら、それほど無理でもない。それに自転車が一番早い。
京都はかなり回っているので、いろんなモデルコースを提案できる。行かれる時は気軽に相談してください。

国立博物館では、雪舟展をやっていた。「人は彼を画聖(カリスマ)と呼んだ」とかいうようなアホらしいキャッチにがっかりする。2年前の若冲の柳の下を狙っているのだ。とはいえ、水墨は好きなので翌日の午後、見に行った。
雨上がりで空いているだろうと読んでいったのだが、なんと30分待ちの表示。
信じられないが、並んで待つほど混んでいるのは嫌だから、岡崎の美術館など回ってくることにする。
こんなときにも自転車が便利。祇園から白川沿いに15分で着く。動物画の特集や収蔵品展を見て回る。
竹内栖鳳が幾つもあって自由闊達な筆使いに感心。
再び白川沿いに博物館まで桜を味わいながら戻る。
しかしまだ、15分待ち。
そこで東山通りを南へ、久々に泉湧寺、ちょっとだけ東福寺へ行って戻るとさすがに列は消えていた。
それでも館内は多くの人でにぎわっている。空いたところに顔を突っ込みながら行ったり来たり。
師匠格の周文、如拙の作品から始まって、明に渡っていろんな技法を会得して帰り、画境を拓いていく。その過程がうまくまとめてある。
影響された画家のなかでは玉澗、牧渓のスタイルが特に日本人に好まれて等伯につながっていくのか、とか、梁楷の様式は狩野派になるのかなとか考えさせられておもしろい。
おもしろく感じられるのは学生時代に、その周辺をかじった経験があるからで、一般の人が楽しめるかというと、さすがに500年も昔の人だし渋すぎるんじゃないかと思う。ルノワール・ゴッホに対するプッサンみたいな位置付けかな?
俵屋宗達だったら文句なしにポップになれるが、何故こんなに観客が来ているのだろう?それも若い人が多い。
なんでも宣伝の時代かもしれない。渋いのがメジャーになってきているとか・・
ルネサンス様式の館内の天井を眺めながら考えていて、ふと思った。「雪舟」 この名前ではないか。カッコ良過ぎるぞ!

今回の旅行の目的は以前に書いたように熊野信仰の現場を訪れることである。
紀伊勝浦までは京都から4時間以上もかかる。途中、新大阪から女房が合流する。これは銀婚記念の旅でもあるのだ。
関空から南は初めてなので車窓の風景に釘付けになる。南紀の山は常緑広葉樹で青々テカテカ。もう田植えの準備が始まっている。
熊野那智大社というより那智の滝というほうが知られているだろう。そこに隣接した西国三十三ヶ所第1番の青岸渡寺/尊勝院が今日の宿である。
かなたに滝が見える絶好のロケーション、苔むした門に落ち着いた庭。
なんて渋い宿かと感心して入ると、中はチープで宿泊客は我等の他には老婦人だけ。
しかし部屋の戸をあければ手入れの行き届いた庭、鳥の声、その向こうには那智の山々。素晴らしい。
400mの山頂なのにあまり寒くない。コタツに入り戸を開け放して夕食をとる。
宿坊なので精進料理のはずだが、海老や卵なども出る。かなりアバウトな宿。戸締りもしたことがないという。
やがて満月が昇りあたりを照らす。
丹前を羽織って誰も居ない境内を散歩。かなたには那智の滝が鈍く光っている。
「ニッポン、スバラシイ!」そう言いたくなるほどエキゾチックだ。
何故あれほど多くの人が何度も熊野に詣でたのか?その理由の一端が感じられたような気がした。
石畳の上を歩く下駄の音だけが響く。
純文学作家になったような気分、それも当地の中上健二でなくて、端整で哀しい水上勉だな。もちろん傍らの女性は若尾文子だ。
女房も同じようなことを考えているのだろう。25年も一緒にいるとツーカーなのだ。

散歩のあとテレビをつけたら衛星でテニスの中継。アガシ対ラペンティ。ブレークが続く熱戦である。解説は英語でコマーシャルは中国語。シンガポールにいるみたい。やっぱりいつもの自分に戻っている。
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広報委員として大学案内の作成に関わっているので、時々印刷関係者やカメラマンと話すことがある。
「若いのがラフスケッチを描けなくて困っている。」という。
何でもコンピュータでやろうとするから仕事がすごく遅くなる。図を描いて検討できないので参考例を探さねばならない。ソフトの操作の学習に終始してしまうから、ただのオペレータでしかない。
まだ40前の人達からこんな話を聞いた。

僕も日頃から感じていた。ここにも書いたかもしれない。
描きながら考える、というか描かないと考えられない。いきなりパソコンに向かっても仕事が進まない。
コンピュータを使いながら成長した世代では、そんなことが起こらないのだろうか
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21世紀になってから変わったことばかり起こっているが、この暖かさはどうだ。
我が家の遅咲き梅も花開いて、もう散り始めている。
黒猫を登らせてトレーニング。情けなくなるほど動きが鈍い。
寝てばかりいるバカ。だから可愛い。
人間だったら?
絶対、許せない。
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錦帯橋が架け替えられているというので見に行った。
既に作業はほとんど終了していて真新しい檜の香りが漂っている。
五種類の材木を使い分けているというような解説を橋の上で聞く。
50年ぶりの修復だという。この橋に初めて来たのが25年前のこと。
その頃はまだ25年しか経っていなかったのか、と当たり前のことを考えて呆然とする。


岩国は何度となく訪れているが今回初めて城山に登った。登山道では、あちこちで粘板岩の褶曲面が見られる。毎年の洪水で堆積した土砂が固まって石になり隆起して捻じ曲がって・・・・
億単位の時間が流れている。


山の木々には白いプレートが付けられていて、そこにサクラ・バラ科・用途-家具という表示が書いてある。
コウゾは和紙の原料だと知っていたが、これがその木なのか。
蝋の原料になるハゼは秋には見事に紅葉するはずだった。
えっ、こんな大きな木が割り箸になる?

こんな調子で読みながら楽しく歩けるのである。
用途が風致樹と記されているものも。
無理やりに役立たせようとしている。
ねじれ曲がっていて何にも使えないので伐採されずに永らえた樹木の話を思い出す。
それにしてもたくさんのプレートをつけたものだ。
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結婚25周年を迎えたので旅行を企画している。
インターネットでの情報収集を試みるが、何時間か使ってもガイドブック一冊分の資料は得られなかった。
レンタカーや交通などの情報は電話でも得られるし、まだまだこれからだな。
で、何処を目指すのかというと熊野である。
和歌山の最南端、那智の滝。
そこから高野山、そして吉野山へ。
日本の精神史を辿るスピリチュアルな旅になるだろう。
今回は人並みに普通列車でなく特急で、自転車ではなくレンタカー、安ホテルでなくて寺院の宿坊と、俺にしては破格に豪勢な旅を考えている。実際はどうなるかわからないが。
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春だ。

俺にとっては花粉症地獄の始まりである。
アドレナリンが分泌されると抑制効果があるので、土日とテニスに集中する。
しかし、眼が痒い。
そこでこんなイラストを。描画ソフトも優秀になってきた。紙よりも描きやすい。でも飽きが来るのも早そうだ。