パソコンの変調でネットにつなげなくなった。メールもストップ。
おりしも民間ADSLの試用を始めたときだったので、家庭ではWEBにはつないでいられる。
職場ではとても不便。HPは学内からでしか更新ができないし。

ちょっと簡単には解決しそうにない。
ま、これも一興。この大雪みたいに楽しもう。

雪の風景を撮りたくなってふと考えた。
きれいだから?
そんなことを否定して美術を考えていたはずなのに。
「俺も年をとった」で済まされることかな。
世界の一部を描くことで世界のすべてを描き出している。それが風景画だろう。
今、風景を見るということは雑音やゴミや車やテレビ等というものと無関係ではいられないはずだ。街に暮らしている以上は。

久しぶりにこんなことを考えた。
そして凍りついた路上を写した。



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日頃持ち歩いているものを並べてみたら、アルミ、チタン、プラスティックなど銀色、無彩色の多さに気づく。
素材の色がストレートに出ているものは、やはり安心できる。
農村、都市、その中間にあるケバケバしい色彩の建物が野放しになっている郊外の風景などに、思いを巡らす。

ここに写っている新しいデジカメはバッテリー、記録媒体、パソコンとの接続が現行機種と共有でき、そしてポルシェによるデザイン、かつ大幅な値下がりということで購入したが、それほど小型でもないし相当の重量、存在感がある。
手ざわりを楽しんだり眺めて喜んだり、カメラをコレクションする人は多いが嬉しいものだ。
2台のデジタルカメラで、互いを撮りあった。おお!ナルシズムの極致。
携帯電話が、持ち歩くことの基準になっている今、こんなカメラは最早クラシックになりつつある。これにはどこか定住型の生活の名残が感じられるのだ。

旅人には軽くてコンパクトなものがいい。そんなものが日常生活のスタンダードになってきている。
最近の売れ筋機種の重量は150グラム前後。俺が所有する黒いカメラの3分の1、銀色の2分の1だ。
このことは5回前のこの欄に書いたな。年寄りの繰言になってるじゃないか。
ともかく、これからの人は身軽なことを好む。
21世紀は新遊牧生活の始まりなのかもしれない。

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国技相撲が存亡の危機と騒がれている。
そこで浮上してきた外国人力士の名前にびっくり。
黒海(グルジア)、琴欧州(ブルガリア)など、いろんな人がいる。
すごいセンスだ。
これから北海、地中海、南太平洋といった四股名が出てくるのだろうか。
海だったらなんとかなるが山はどうする?
キリマンジャロ山とか。やっぱり漢字にしたいだろう。
葡萄牙、瑞西、埃及
これが国の名前であることを知る人も少なくなったが、再登場するかも。

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えらく暖かい。
そんなこと言った途端に、寒くなるのかもしれないが、ともかく暖かな日が続く。
南極の氷が溶けている様を想像する。
しかし南半球は夏だ。メルボルンでは全豪テニスが開かれている。
我々も休日にテニスをやり、汗を流した。
午後はシャワーを浴び、女房と猫とコタツに入ってテニス中継をみた。
酷暑の中のプレーで痙攣を起こす選手もいる。
いまが冬ってことがわからなくなりそう。


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殿様キングス、すごいバンド名、そしてすごいダサさ。
前から知ってはいたけど、テレビで見て改めて驚く。
ピンカラ兄弟とはどんな関係か?
どうでもいいようなことだが、俺は「昭和はどこに行ったのか」という喪失感を抱いていたので、これに反応したのか。
それにしても、あのリードボーカルは何故あんなに、ニヤニヤと笑いながら歌うのか。
こんな歌詞の世界が実在するのだろうか。
疑問は膨らむばかりだ。
あすはセンター試験だが、こんなこと考えている受験生はいないだろうか?

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好天が続いた連休の中日に岩国へ知人の展覧会を見に行く。
さびれた駅の裏にある大きな公共建築、ちょっとくすんだ壁面の展示室。
こういう環境で見る「現代美術」に感じる違和感、それは何だろう?

首をかしげながら外へ出ると季節はずれに鋭い陽光。
海を見たくなって大島へ向かう。

空の青、海の青。これが一月?Tシャツ一枚で遊ぶ子供達、水上バイクの若者、派手なウェアで決めたサイクリスト。
あっけらかんとした現代がここにたっぷり。
ぽかぽかした陽だまりで居眠りしたくなる。
気分はレイジーなホームレスのオッサンだ。

まぶしいほどの溢れる光
島で暮らすのはどんなものだろう。こんなところに実家があったら?
いろんなところで暮らしてみたい。いろんな仕事もしてみたい。
それがずっと続くものでなかったら、苦痛にはならないだろう。

むかしテレビでアメリカの連続ドラマ「逃亡者」が人気だった。
執拗な鬼警視の追及で、どこにも定着できない。やさしさに包まれても別れが待っている。
いま思い返してみると、それほど悲劇ばかりでもないことに気づくが、「自由」を求めればそれだけの対価を支払わねばならない。
きびしいね。
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デジカメを使わない日がないくらいで、常に持ち歩いている。
息子が欲しがっていたので、最近はどんなものが出回っているかと物色していたら俺も欲しくなってきた。
いろんなものを比較してみたが、最近のデジカメについての結論は
「小さく軽くなった」ということだ。
でもカメラの本来の目的を超えて、軽量化されている。
指では押せないくらいに小型化したキーボードみたいに。
あまりに軽いと手ブレを起こすので300万画素を謳っても意味がないけれど、
フィルムを使わないから、どんどん小さくできる。
これに電話とオーディオがついて、万能コンピュータになるのは時間の問題だ。

フィルムを使わないから安上がりに思えるが、印刷では高価な専用紙を使う。
プリンタは安く出ているが消耗品のインクが高くつく。
それでも、これからはデジカメが主流になるだろう。
この2年間、それほど画期的な進化はない。実用面ではあまり問題ではないが、価格的には旧型というだけでとても下がっている。
デザインはひどいものが多い。長く使うというよりは消耗品に近い。

店頭で触り、WEBをさまよって数多い候補の中から、ひとつを選んだ。たっぷりと時間をかけて。
この買い物、正解だったかどうか。
でも、とても楽しんだ。


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年賀の半分をメールで済ませて、楽になったものだと不精を決め込んでいたら、「久々だな」という返信がドバッを届いて、
こちらも楽しく応答していたので、正月はほとんどパソコンに向かって時間を費やしてしまった。
ポンと返信を送れるメールが対話の呼び水になってくれたようだ。
早晩、年賀状は消滅するだろうな。
思いもかけず、メールのおかげで旧交を温めたり、面白い話を聞くことが出来た。

或る友人の奥さんはラファエッロがとても好きで、世界の美術館をしらみつぶしに廻っている。
ドレスデンで彼女は2時間ひとつの絵を見つめていたという。
その美術館は静かなところだったかもしれないが、俺はどんなところでも10分以上も作品を見たことはない。

大概の絵は画集で見ているから、美術館を訪ねても実物のサイズを確かめているだけで、頭の中のイメージは画集のままだ。
その絵をリアルに見ているという実感を持ちにくい。
その先入観が覆されたことは、これまでに数回しかない。
システィナのミケランジェロ、教会のカラバッジョ、ナショナルギャラリーのホルバインとレオナルド、シエナのマルティーニ・・・・・
子供達は、その逆で先に実物を見ている。
この差は大きいね。
とくに美術史などの分野では、石を見ずに鉱物学をまなぶようなものだから。

それにしても2時間か。
最近2時間もデッサンしたこともない。
他人には説教するくせに、いやな教師になってしまっている。
考え込んでしまった。


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日曜日に積もって月曜には晴れている。
なんて行儀のいい雪なんだろう。
チェーンを着けて近所を走ったが、スタッドレスの普及で全く他にタイヤチェーンを見かけない。
ガチャガチャいわせながらトロトロ走っていると、「ナニやってんだ」みたいに追い上げてくるやつがいる。
それでさらにスピードを落としてイライラをつのらせてやった。

この調子だと数年後にはビデオテープが消滅してDVDに置き換わっているかもしれない。

午後、雪見登山へ、近所の山に登る。
陽光が差して、暖かい。すがすがしい光景。
頂上からは雪が積もった市内、瀬戸内の島々も眺望できた。
両側には造成中の団地。20世紀的な光景がまだ続いている。

小さく勤め先の大学も見える。明日からそこで始る新学期のことを考えた。
今、大学の窓からその山頂を見ている。
視点と思考、面白い関係。

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新年を迎えたことだから、メリハリをつけてもいいのだが、まあ、いいか、このままでも。

最近の傾向としてWEBや印刷物で、文字が小さくなっているけど、なぜだろう?
ということで、ちょっと色とかも変えてみる。

年末から若い人たちと接する機会があって驚かされたことがいくつか。
広範囲な事柄に関して、深くて正確な知識。その反応の早さ。明確な評価と解釈。
食事中の雑談でも日頃の会話とは次元が違う。
ローカル鉄道からジェット機に乗り換えたぐらいのショック。参ったな、という感じ。

初詣は、そんな彼らが推奨するジュンク堂で立ち読み2時間。
ここ数年、正月は映画と立ち読みで過ごしているな。
いつものように店内は混み合っているが、本気で勉強みたいな人が3割以上もいるように見える。
「学校」という場では見られないエネルギー。ここをそのまま大学にすればいい。

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メールでいろんな人に案内を出した「都市X芸術」が始った。
久々にグループ展に参加して、二日間にわたり搬入と設置の作業を楽しんだ。
そう、実に楽しかった。作品が運び込まれて組み立てられる。
それもキャンバスは一点も無い。パネルやオブジェやプロジェクターなどの機材。
あれこれとセッティングする様子は工事現場みたいだ。
その光景が大学時代に毎年経験した制作展を思い出させた。
絵画の陳列は壁面に並べておしまいだが、デザインや工芸の連中は何時間もかかってディスプレイする。
その作業が楽しそうで、羨ましく思ったものだ。
今回はそういうデザイン系の人たちも多いので、展示がプロっぽくて感心したり、ちょっと白けたりする。
でも、こういう人たちとジョイントできるのがとても刺激的だ。
制作費に関しては俺が一番安上がりだろう。
廃品と借り物ばかりだからな。
そこからも自分が見えてくる。

作品解説のためにページを作ったので見てください。
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そこそこにハイグレードなデジカメを購入して1年になる。
その間に次々と新製品が出されて、早くも俺のカメラは生産完了、流通価格は当時の6割引というありさま。
そのデジカメで毎日のように撮影しているが、まだ多彩な機能のごく一部しか使っていない。
細かなアイコンで表示されているスイッチ類、OK,BACK、SHIFTなどのモード切替。とても覚えられないし、いちいち使用説明を読んで撮影なんかしない。
俺の欲しいのは多彩な機能ではなくて、基本的な機能なのだけど。
先日、最新のデジカメを触ってみたが、どれもその点はまだまだ従来のカメラに及ばない。
特に液晶ファインダーのタイプでは、表示が少し遅れるという弱点のために、ここぞというシャッターチャンスがつかめない。
これでは人物やスポーツは撮れないので、そこは後の費用を考えずに何枚でも撮れるという利点で補おうと考えたが、ダメですね。
それでも適当にバカスカ撮っておいたものを、ゆっりと見直すと意外な面白さに遭遇できることもある。
ともかく撮っておく。これがデジカメの正しい使い方でしょうか。

暖かな休日が続いた。たっぷりとテニスを楽しみ、その後に近所の山に登る。
野登呂山453m。安佐動物園から登ったから実質は300mほどの登りだったが、これで近所の山はほとんど制覇した。
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どんよりと曇ってうすら寒い、いかにも12月という日曜日の午後、障子の張替えに没頭した。
幸か不幸か我家には12枚もの障子があって、しかも8枚は雪見障子になっている。
その上、欄間にも小さな障子が8枚あるから、たっぷり楽しめる。
それにしても俺がこんなトラッドなことをするなんて。
正直言って面倒だが、今どき和風は贅沢で道楽だ。
庭で焚き火をしたり、五右衛門風呂を沸かしたりするように。
仕上げはかなり汚いが「まあ、ええやろ」と、いい加減さで進める。

その間、「言うべきことを言わなかった。」「やるべきことを、しなかった。」という過去のこと、そしてその結果について考えていた。
政治の話ではなく、個人的な悔恨だ。
罪と罰。

一般論として嬉しいこと、楽しいこと、良かったことなど、肯定的な感情は持続しないので、この逆は成り立ちにくい。
ある決断や行動の結果、いい地位を獲得したり意中の人と結婚できたりしても、その状態は日常化すると在り難くも何とも無い。
それを失って、やっと気づく。
人生には限りがあり、人は誰でも老いるから、失われないものは何もない。
結局は悔恨だけが残る。

悲観的な考え方だが下手をするとこうなる。
対抗策として、良かったことの一覧表を作っておきたい。嬉しかった瞬間を並べ、つないでみれば、それなりに幸せな人生が浮かび上がるだろう。
しかし、これも下手をすると現在の惨めな自分が浮かび上がってきて、ますます暗くなるかもしれない。
失ったものの多さに、心は空しさでいっぱいになる。
これは奇妙な表現だな。空しさでいっぱいになるなんて。
空気を吸いすぎて胸焼けしているみたいじゃないか。
ま、それはともかく、
楽しいこと以外、他のことをすべて忘れられる人が本当に幸せになれる。
特に自分のことは気にしない。どうでもいい。
職場がつぶれようと、家が傾こうと、愛車がポンコツになろうと気にしない。
無我の境地、悟りだ。

難しいな、幸福になるには。
テレビでも見て笑っているほうがよさそうだ。
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CDのジャケットを時どき制作している。
グラフィックデザインは、すごく楽しいし、この作業の中で習得した技術や知識はCGの授業にも役立っている。
最近、若い音楽家から依頼されて作ったものが出来上がってきた。
企画、写真撮影から全て自分でやれたので、とても滑らかに仕事が進んだ。結果も好評である。
この音響もすごい。あらゆる音楽に聞き飽きた人も「なんじゃあ!こりゃあ」とブッ飛ぶだろうな。
NHKが主催した「詩のボクシング」で準優勝というユニークなサウンド、といっても声だけなのだけど、すごくおもしろい。
これがいまなら1200円とは驚きの価格破壊。一家に一枚必携です。
興味を感じた人は、こちらを訪ねてみてください。

このCDを紹介したいということもあって久々にこのページ以外のところをいくつか更新した。それにしても、この作業にはすごく時間がかかった。
凝ったものを作る人ほど、ホームページをスッピンの文字情報だけにしてしまおうと考えるようになる。その気持ちが理解できるね。
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12月、だから掃除だ。というわけで引き出しにたまった書類をバンバン整理。つまりゴミ箱へ。
配布しただけで読まれることなく、死蔵されて廃棄。ほとんどの書類がこのような道を辿る。
ある時、本気で書類を作ったこともある。
MS−DOS時代のワープロソフト一太郎。あれはかなり使えた。
そう言えば、ワープロという機械をこの3年間ほど目にしていないが、何処に行ったのだろう?
WORDになってからは読むだけで、文章は身軽なエディターで作っている。
書類の体裁を整える作業は、いまや意味がなくなってきているのじゃないかな。
そのうちに、メール文のようなものになるだろう。

しかし、本当に整理が必要なのはパソコンの中だ。
デジカメ画像やメールなんかが、いっぱい溜まっていてすごいことになっている。
「もしハードディスクが壊れたら?」と心配してバックアップを検討すると、残さなければならない情報は、それほど多くない。
かさばらないからという理由で残っているだけだ。

そのように、することがいっぱいあるのに気楽にも山登りへ。
宮島は弥山。東の尾根沿いに登って、主要な峰を縦走した。
1200年燃え続けているという炎で暖められたお湯を頂く。
紅葉はすっかり落葉しているが、吹きだまった落葉が地面にいろんなパターンを作っていた。
カメラを持っていると歩みが遅くなるが、見つける楽しみを味わえる。

今年は宮島に来ること、なんと5回目。縁があった。
帰りは「穴子飯」で完成。

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12月です。