大学では授業や会議がないときは勤務先にいなくても良いので、丸々一日フリーになることも少なくない。
それでも活動拠点としての便宜から大学に行く事が多かった。
しかし、子供たちが成長してしまうと家の中は日中ネコしかいないという静けさだ。インターネット接続のおかげで急な用件にも対応できるようになったこともあって、時々は家に留まるようになった。もっとも女房にとっては、あまり嬉しいことではないようだが。
そんな一日を過ごして気づくのは、いかに何もしないで一日を過ごしているかということだ。
出勤するとその往復や、ちょっとした雑談、電話への応対などで何か仕事をしたような錯覚を抱く。それは愚かなことだけど、錯覚の部分を取ってしまうと人生はかなり過酷なものになるだろう。
通勤地獄の解消もほどほどにしたほうが親切かもしれない。
それにしても家から一歩も出ないというのは息が詰まるものである。
昨日も夕食を食べてから、いよいよ我慢できずに映画に出かけてしまった。

戦後の大阪で鉄屑拾いで暮らしていた在日韓国人のスラムを舞台にした作品だ。
予告編を見たときから懐かしさで引きつけられていた。
俺が小学校のころでも、大阪城の東には陸軍工廠の廃墟が残っていた。そこを舞台にした開高健や小松左京らの小説につながる路線の物語だ。

小学校のとき、近所の空き地から水道管を一本見つけて屑鉄屋に持っていって金をもらい、それでお好み焼きを食っていたら、えらく母親に叱られたことがある。当時はそれが金になったのだ。
そのころ京都駅の東にはスラム街が広がっていて、狭い迷路には怪しげな食べ物屋などがひしめいていた。
高校時代には在日のクラスメートも多かったので、南北問題や二重差別などリアルに触れていたから、この映画の設定はすべて馴染みのものである。
こういうヘヴィーなテーマは映画化されることがなかった。だから内容がどうこうよりも、もうそれだけで許す、認める。ともかく作ったことに意義がある。
ということで、かなり高揚した気分で帰ってきた。
このように時間を過ごすことも授業の準備には役立つ。そういえば大学では、フリーな日のことを「研究日」と呼んでいる。なるほど、ですね。

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「女性と芸術」を講義で取り上げようとして準備を進めている。
そこで現在、美術大学ではどのような男女比になっているのかと調べてみた。
なんと男が女を上回っている大学は皆無。
母校(京都芸大)が1:3で女の園になっている。女性が増えているとは聞いていたけれど、これほどとは。
あのころ四芸とか言われて何かと交流の多かった大学を見ると、東京芸大が1:1に近く、愛知が1:2、金沢が2:3.大手私大の多摩や武蔵野でも1:2で女性が多い。
職場の短大ではほとんどが女性なので驚くことはないが、全国で大きな変化が生じている。
今、どこの大学でも女性が増えると偏差値は上がる。そういうものと関係しない美術大学では何が起こっているのだろう。
相変わらず、教授陣は男性が多数を占めているのだろうが、果たして男に女の造形が理解できるのだろうか?
これは学生時代からの疑問であるが、もちろん男である俺にはわからない。
少なくとも疑問には思っているし、女性の感覚が何らかの方法で体感できるならぜひ試してみたいものだ。
日産マーチの旧型車は世界中で大ヒットしたが、あれは全部女性のチームでデザインしたものらしい。こういうものが増え続けると、いつか男っぽい形ってどんなものだったんでしょうか?何てことになりそうだ。
そんな時、世界は平和になっているのかな。
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アンケートの平均は65ぐらい。かなり高い数字だった。
結果を別紙にまとめた。

誰がやっても「今どきの若い人たち」と同じような傾向ではないだろうか。

出題にも偏りがあるが、宗達、光琳といった桃山の日本デザインを代表する作家が知られていないことは寂しい。学生時代に調べてことがあるので思い入れが強いのだ。

アンケートのまとめは面倒で、また解釈が難しい。
やりかた次第で何とでも言える。数値化すると客観的であるかのような錯覚を与えられるが、「何となくそう思う」程度のことでしかない。
「私はこうやりたい!」というエネルギーもない。
空しいものである。
ま、各自で「私の常識100問」を作るべきだと、感じられたことが収穫でした。

合宿での収穫はこの写真。
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新入生の合宿に行かねば成らなくなったので、この機会にアンケートを企画した。
「最近の若者はあまりにも常識がない」と俺も考えている。そしてまた、いつまでたっても教育界の常識は旧態依然のままだとも考えている。
そのギャップを確かめてみたい。
高校の美術教科書を中心に100の項目を選んだ。
「聞いたことがある」「説明できるほど熟知していないが、そのイメージは浮かぶ」
それぐらいをチェックするといくつぐらいに印がつくだろう?
いかがですか、あなたも挑戦してみては?

改めて気づいたことだが、この中にはフランス語が多い。ずいぶん前からアートの中心はパリからずれていっているが、新たな造形理念が提案されることもなくなっているから、まだまだ使える言葉だろう。。
かといって50年も前の聞きなれないフランス語を常識語として使っている我々美術関係者もけっこう専門バカだ。
黄金分割なんかすっかり忘れていた。強引な理論先行。ギリシャが滅んだ理由かも。

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福岡行きで道路地図を買ったものだから、最近はそればかり眺めている。
インターネットの時刻表で船や鉄道、宿泊先まで調べて、いくつものプランを作った。
サイクリストによる体験記も読めるので参考にしながら修正する。
あとは出かけるか否か。
困ったものだ。
次から次にやりたいことが現れて、夢中になって。
まともに仕事しようという気になれない。いつまでたってもこの調子か。
できるだけ通勤で自転車に乗って、誘惑を発散しているが、しばらく雨模様だな。
鬱屈として読書には最適なのだが、近頃まったく読んでない。
自転車のメンテナンスブックと地図以外は。
いつまで続きますか。

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連休をどう過ごすか?
いくつかのプランの中から「原付バイクを福岡の息子に届ける」を選択する。
大判の道路地図と少々の着替え、デジタルとフィルムの2台のカメラを持って、出発。

国道で車道と歩道を隔てているブロックに気を遣う。こいつに引っかかったら即死だ。歩行者や低速車両への配慮や想像力が一切感じられない。これが日本を代表する国道二号線だ。
この邪魔なブロックに強い日差しがあたり、黒い影が道路にへばりつく。
これをバイクからの視点から撮影したくなったが、走るだけでも必死の国道ではとてもそんな余裕はない。そこでこれは絵に描いた。

できるだけ旧道や間道を選んで、殺伐とした国道は避けるように計画しても、大きく遠回りをしていては目的地に着けない。このジレンマは道中で最大の課題になった。

徳山で早くも12時を過ぎてしまった。体がバシバシに硬くなっている。駅前の商店街でうどん定食を食べ、外に出ると隣りのCDショップから威勢のいいブルースが流れていた。路上のベンチで休みながら目を閉じて音に浸る。「原付ではこの距離が限度だな」と感じつつ、午後からの道程へファイトを掻き立て、再びバイクにまたがる。
防府手前、椿峠での下りは路側帯もない一車線。迫ってくるトラックの姿がバックミラーの中で拡大してくる。ここが道中で最も恐ろしかった。
防府の国分寺金堂は解体修理中。楠の新緑が蛍光を発するかのように眩い。
土塀と木洩れ日
すぐ隣りに有名な天満宮がある。参詣者が少なく巫女さんが窓の掃除をしていた。
市街を見おろす御堂で横になる。ここでもう3時に。

秋穂から阿知須を経由して宇部へ。
落ち着いた田園地帯と整った村落。こんなところが道中の20%も無い。日本は大丈夫なのか?
周防大橋の両側は引き潮のためか干潟になっていて、その光景をフィルムカメラで撮影したかったが停車禁止なので、頭の中でシャッターを切り、後で絵に描くことにする。
地形が平坦になり植生も変化してきた。夕方までには目的地へとの焦りから興味をひくものがあっても通り過ぎる。戻るべきか止まるべきかと迷いつつ、これも絵に描くことでパス。
宇部の周辺の道は山の中というより森の中を走る。
それもつかの間、再び国道をひた走り、やっと下関、長府に。
土塀に囲まれた屋敷がたくさん残り、立派な寺国宝の建築(牛田の不動院にそっくり)など見どころが多い。
神社の境内で子供たちが野球をしている光景に鞆を思い出した。

こうして暗くなるまでにホテルに到着できた。やれやれ、クタクタ。

翌日。
関門海峡はフェリーで渡る。(でなければ原付は海底人道トンネルを通らねばならない。)
北九州の工場地帯には廃止された鉄道引込み線跡がいっぱい。ここはバス専用路になっている。
なんじゃもんじゃ通りという表示の街路樹が満開。木の名前を尋ねたら「なんじゃもんじゃ」だという。
玄界灘の浜辺はゴミが少ない。潮流のせいかマナーがいいのか。
「さつき松原」の松並木。
防風林の中の小道
九州大学。旧帝大に廃墟あり。
寄り道しながら「どんたく」で賑わう福岡に到着。
夜は沖縄料理店でいっぱい食べ、たっぷりと飲む

次の日、大学を見学。指導担当教授と懇談。同年輩、関西出身、同業で共通の知人も多く、話題は尽きない。
音響機材がいっぱいのスタジオなど見て回る。
昼食は天神のエスニックレストランで。デジカメで撮りあう
「どんたく」を無視して裏通りで路上観察。新旧入り乱れて東京か上海みたい。
アクロスという人口の山から祭りを見おろす
近くの飛行場での発着のために、十数階に制限され高層ビルが無い福岡。

帰路は高速バスで3時間半。

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近頃自転車づいている。季節も良いので、普及促進のためにサイクリングロードを紹介しよう。
五日市付近の住民なら誰でも知っているだろうけど、ここはいいです。
YAHOOからの地図を使わせてもらう。
A地点は八幡川の河口にある「みずどり公園」とかいうところ。駐車できて広い緑地がある。
ここから出発。Bの橋が高さ30mぐらいかな、登りで一番運動になる。ちょっと厳しいけど眺望の良さで苦にならない。
Cのあたりは路面が荒れているが、たくさんの種類のヨットやモーターボートを眺められる。
Dはこの前に紹介した桜の並木。いまは木漏れ日が美しい。
ここで引き返してもいいのだが、Eまで走って旧道のしみじみした情趣を味わいたいものだ。
広電廿日市駅前の食堂で中華ソバをどうぞ。JR駅前にトイレ。
このルートを引き返すと、7、8kmぐらいになるか。そこそこ疲れるのでA地点でゆっくり昼寝。

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一転して快晴。
雨の間に自転車整備と鉄道旅の本を借りて読んだので、じっとしていられなくなった。
大町駅まで走り、輪行。
意外に可部線は乗客が多く、自転車の置き場に気を遣う。一方、呉線は有難いことにガラガラ。
車を運転しなくてもいいのはとても気分のいいものだが、鉄道料金の高さには驚かされる。

広駅で降りて国道を走り蒲刈を目指した。安芸灘大橋の上では、自転車が横にスライドするほどの強烈な北西の風に押され、三年前に次男と走った今治大橋を思い出した。
この風のおかげで稀に見る視界の良さ。ツツジ満開の公園でお弁当。たまには記念撮影もしてみようと、滅多に使わないタイマーや日中ストロボを試す。
昔風の町並み復元が進む石畳の道を蒲刈大橋へ。どこに行っても大橋ばっかりである。
渡った先が上蒲刈島。本土に近いほうを下蒲刈島と呼ぶ。この前に訪れた大崎島は逆だった。
ここまで乗ってきた呉線は広行きが「上り」。
JRの定義では東京に近づくのが「のぼり」なのだ。島の名称もそれに倣っているのじゃないだろうな。実感にそぐわないし、いやーな気持ちにさせられる。
それはともかく、この橋からは四国まではっきりと見渡せる。


「県民の浜」は評判通りの美しい海岸で、広大な浜辺にカップルが1組だけ。
安楽椅子に寝そべって過ごすことを想像するが、10分もしたら飽きるだろうな。
それに我々は帰らなければならない。
島を周回するコースを選んだが強い向かい風。海面が波立ち深い青が美しいけれど、帰りの道のりと夕方の列車の混雑を考えて、予定を変更し、宮盛(みやざかり)という集落から高速船に乗る。
初老のご婦人が古い木造の乗船事務所を守っていた。
自転車の分解を話のネタに雑談。5月の連休が終わったころから、しばらくは島中がみかんの花の香りに包まれるという。長年暮らしている人が感嘆をこめて語るのだから、よほど快いものに違いない。
船の到着時間になると、彼女が桟橋にたって、沖を走る高速船に両手で大きな円を描いて合図を送る。
すると、船が急ターンしてこちらに向かってくる。
タクシーを止めるようなものだが、相当な迫力のあるものが我々を迎えに着てくれるのだから、贅沢な気分になる。当然に運賃は二人で5000円以上と安くない。
乗船券は船会社からまとめて買って、それを客に売るのだという。
乗客が少なくなったこの路線では、そんな扱いはできないので客がいたときには船を止める。それが彼女の役目で切符は船内で購入することになる。

白波を巻き上げて快走する船窓からは瀬戸内の違った表情が見える。
到着した宇品港はターミナルビルが新築され、広くなった新しい市電の乗り場にグリーンムーバーが滑り込んでくる。
再び自転車を組み立てて夕日に輝く街中を紙屋町へと走る。
地下の本通駅で再度、分解してアストラムへ。伴駅でまた組み立て、帰宅。
本日はこれを5回繰り返した。

この蒲刈島は全体に良く手入れされて荒んだところがない。道路も高低差が少なく走り良い。サイクリングには最適だ。
紙屋町からバスも出ているので輪行にはこれが便利だろう。安芸灘大橋を渡ったところに駐車できる。
みかんの香りを求めて再訪したい。


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雨が降り続いた。
その合間を縫って奇跡的に90分テニスを楽しめたものの、あとは降り込められっぱなし。
近所の小学生が「雨よ、止めー!」と叫んでいた。
しみじみと雨音に耳を傾けながら、書物を開き、軽薄な日常を省みつつ過ごしたいものだが
花の噂に落ち着かず、五日市、造幣局の八重桜見物や「指輪物語」の映画へと西へ東へ。
でも、雨は写真には最適な、俳句でもそうだけど、味わい深いもの。
ガラス窓にぶつかる夜の雨、車窓から眺める歪む電柱、流れる風景
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ボーリング・フォー・コロンバイン
何度も予告編を見ていて、社会派ドキュメンタリーだから客は入らないだろうと思っていたが、不幸なことに、歪んだ世界情勢を糾弾するものとして、監督と共に有名になってしまった。
いろんな人から薦められたが、なるほどなるほどの納得おどろき。
どうしてアメリカはあんな行動に出るのだろうと、あれこれ考えていたことに対して、もっとも説得力のある解答が得られる。

競争原理がアメリカの原動力になっているが、勝者の何十倍もの敗者が挫折感、劣等感、無力感という心理的な抑圧下にあって、経済的にも過酷な立場に置かれ、また人種抗争の恐怖から常に背後に危険を感じ、猜疑心にとらわれている。

打ち捨てられた中西部の町で、東部有名大学の名前が道路につけられていた。
イェール通りにプリンストン通り。ぞっとするような光景。
学校の成績だけで能力を決定したり、弱者への福祉予算を削減させるような生活スタイルが、他人に銃口を向けることに直結するとしたら、我々の周囲にも同様の可能性が生じている。

大いに感激して街に出ると、100m道路は新緑に煙っているようだった。



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「花に心が乱される」
こんなことが自分に起こるなんて。
休日テニスの後、いつもなら寝転がっているのに、落ち着かない。
老けたのだな。それとも?

午後遅く、廿日市、堰堤の桜並木に向かう。
これだけたくさんの人々を喜ばせる桜、人々に喜ばれている桜。
幸せな光景だ。

周辺を自転車で回る。JR駅の桜も見事。

再び戻って花の下で夕食をとりながら考えた。
水に映った樹影。本体の姿は全く注意を引かないほど凡庸なのに、どうしてシルエットはこんなに美しいのだろう?
How do you think?

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昨春の熊野に続いて「日本を見る」旅を企画。

「重要伝統的建造物群保存地区」
なんともいかめしい呼び方だけど、「古い町並み」のことだ。国が指定した35道府県 55市町村 61地区。
「古い町並み」はWEB上でも人気が高く、情報も多い。ほとんどの情報ががこのホームページから得られる。
http://www1.odn.ne.jp/cbi91850/index.html
その中に、中国地方で訪れていない所が2ヶ所あったので、今回の目的地とした。

自宅から高速経由90分で安芸津に到着。港の前の駐車場は24時間300円。
自転車を組み立ててフェリーに乗る。分解したままで乗れば130円安くなる。
大崎上島に着いて20分ほど走り、低い峠を越えると木江町だ。
三階建ての遊郭がボロボロになって残っている。
狭い道路に人影は見られない。
家並みを見下ろす神社で昼食。石段に積み重なった昨秋の落葉を燃やしている爺さんと話す。
この町並みは早晩消え去るのだろう。

下島へ渡るフェリー乗り場まで、青い海を左手に見ながら走る。
途中ですれ違う中学生が明るく声をかけてくれる。
彼らはみんなこの島を出て行くのだろうな。我家の息子達のように。

いま、瀬戸内の主要な島にはたいてい橋がかかっているが、ここは「残された島」なのでフェリー乗り場も寂れていると予想していた。しかし、30〜40分ごとに往復するフェリーは宅配のトラックやダンプカーなどで一杯になる。この島でも物流は車が中心になっているのだ。

大長に着く。あのミカンの産地である。
さっそく食べてみようとしたのだが、島の何処にもミカンは売られていない。
ここでは買うものではないようだ。
保存地区である御手洗(みたらい)に入ってからは自転車を押して歩く。
近年、修復が進められたようで、小奇麗になっている。
町の中ほどの時計店のウィンドウを覗いていたら、主人から声をかけられ店内に招き入れられた。
雑誌ブルータスにも紹介され「新光時計店」の名は日本中に知られていると言う。
店内にはマニアックな時計が綺麗に展示されて、その中央には140年間動き続けているというアメリカ製の大きな時計が鎮座されている。
http://www.kisweb.ne.jp/personal/shinkou/index.html
というホームページに詳細あり。
俺も機械のレストアは大好きなので(修理に成功したことは一度も無いけど)多彩な話題で盛り上がった。
それにしても、このロケーションで日本中から修理の依頼を受けている理由は、単に技術力だけではないだろう。東京でも京都でもない、この地で老舗を維持できるファクター。これはとても興味深いテーマです。

1時間ほど歩き回る間に何度か声をかけられる。
オープンな性格の町だ。それもそのはず、ここは瀬戸内でもっとも栄えた遊郭だったのだ。
京都の島原のように華やかであったという。
(おれはその島原で新聞配達をしていた。昔の面影はまったく残っていなかった。)

海運の要所、潮待ちのポイント、そしてこれだけの平地。好条件がそろった。
参勤交代の制度は富の分散にも有効だったのだな。古い町並みはたいてい参勤交代の宿場でもある。
相当な富の蓄積がないと後世に残るようなしっかりした建物は造れない。

寄港した船に「おじょろぶね(お女郎船?)」が横付けされて客をひいたという。
映画「泥の河」は、その最後の名残を描いたものだったのだのか。

この御手洗については豊町のホームページに紹介されているが、印刷物に較べると情報が少なく見にくい。
http://www.kurearea.kure-u.ac.jp/ver2/yutaka/htm/yutaka.htm
時間がたっぷりあるので、向かいの岡村島へ橋伝いに渡って一周する。
まだプジョーの革サドルが硬いので、女房は辛そうだからのんびり休んだり風景を見ながら走る。
漁港に移動スーパーが開いていた。1台が生鮮野菜、もう1台が乾物や冷凍の肉類で、巧妙に配置されている。価格も安い。
深閑としていた村からオバサンが湧き出てなかなかの賑わい。
向かいの防波堤に座り、そこで買ったアナゴを肴にビールを飲む。
そこに通りがかったご婦人と雑談。
亭主の定年で茨城からUターンしたという。静かでいいところだが医療面での不安から、いつまでもいることはできないだろうとのこと。
こんな風に夫婦で旅行していると警戒されることが無いので、いろんな人と話すことができる。

夕暮を楽しめるのは宿泊の最大のメリット。「絵のような」じゃなくって「写真のような」光景があちこちに。

翌朝のフェリーで上島に戻り、安芸津へのフェリ−港まで40分弱、峠を二つ越え、トンネルを抜けて走る。
長いトンネルを走り抜ける間、車は一台も通らず、エコーを楽しみながら、お経のような声を発し続ける。
ピサの洗礼堂が思い出された。

安芸津でようやくバケツ一杯のミカンを買う。これは今回の道中、車の中で食べまくった。
慢性渋滞の三原を抜けた糸崎神社で、中国地方を代表するクスノキの巨樹をしっかりと見る。すぐ裏手を走る山陽線からは何度も見ていたが、今回ようやく念願かなったわけだ。

尾道を越えて沼隈あたりは郊外型の大型店舗が並ぶ。
尾道旧市内のアーケードは半分ぐらい店が閉じられているが、ここらは車が滞るほどの活気だ。
100年前のヨーロッパ模倣を終えて、アメリカ志向が定着している。
19世紀ヨーロッパのモダニズムは日本の風景と共存、調和できた。しかしアメリカナイズは本質的な日本文化を破壊にしている。
とはいえ、俺は古い町並みを歩いていても、ポップアートを探している。ま、これも古いといえば古い。
荒れてすさんだケバケバしい光景。学校が荒れているとか、子供たちがおかしいとか騒ぎ立てても、この醜い郊外の風景が話題になることが無い。
まったく同じこと、いや、これが心の荒廃の原因ではないか。
そんなことを、車に乗りながら考える。

鞆のまちを訪れ、大急ぎで走り回る。京都の一部を切り取って海辺に持ってきたようだ。
石畳で整備されていない狭い裏通りの路上で、子供たちのチョーク画や洗濯する住人の姿を見る。車が普及するまでは、普通の光景だった。
保命酒の本店で、町の歴史について詳細な説明を拝聴。富の蓄積、人が長く暮らし続けること、これが必須の条件だ。

ふくやま美術館では開かれている「HOPES広島岡山美術系大学選抜展」を見る。
一校でこれぐらいの展示ができれば素晴らしいだろうなあ。
今回は岡山県立大学デザイン学部に感心することが多かった。
仕事のことを考えさせられ、かなり疲れる。

ここからは次なる目的地、成羽までの途中、また郊外型の風景にウンザリさせられ、山の中で道を間違えたり、紆余曲折の末、ようやく宿の近くまで辿りつく。
宿から指定されたポイントで電話すると迎えに来てくれる。
後から聞くと、そこがこの地区で携帯が使える唯一のポイントだと言う。
なるほど宿は圏外。いまは電話の圏外が僻地の代名詞になっている。
ペンションという名に似合わないショボイ設備に落胆していた女房は、囲炉裏の食堂に置かれた夕食を見て一変、感嘆の声をあげた。
地味な物ばかりだが、どれも自家製手作りで美味なる物ばかり。
昨夜の宿はビジネスホテルの設備はあるがお座成りな食事だった。こちらは反対に施設の貧弱を補って余りある食の充実感。われわれがいま一番求めているものは「食」なのかもしれない。
オーナー夫婦がかいがいしく働きながら聞かせてくれる話もおもしろい。おすすめ。
http://www.nariwa.ne.jp/buruburu/
但しこのホームページは、宿のよさを表せていないし、地図も全く使い物にならない。

翌朝、周辺を散歩。放射冷却のためだろう、すごく冷たい。
弱点の腰がズーンと重たく感じられるほど。やはり瀬戸内は暖かだ。

昨夜、ご主人から仕入れた話を頼りに見学に出かける。
まずは広兼邸。八つ墓村のロケで有名になって一時はたくさんの観光客で賑わったそうだ。
屋敷と言うより城に近い。これは見もの、すごいです。
ベルトリッチ監督に頼んで日本版の「1900年」を撮ってもらいたくなる。
これらについては成羽町のホームページで。パンフレットも同じように作られていて、とても出来栄えがよい。
http://www.town.nariwa.okayama.jp/

続いて坑道の跡へ。
これが意外にも迫力。天井が低く、何度もヘルメットを直撃。
銅の鉱石を求めて地中深くまでこんな坑道が掘り込まれていた。息が詰まりそうになるような狭さ。時々おおきな虚空間がひろがる。

次にベンガラ資料館。銅の副産物であるベンガラがこの地区に莫大な富をもたらしたという。硫化鉄が焼成、水洗を経て酸化鉄に変わり、水車で駆動される石臼で磨り潰されてベンガラになる。
俺の大好きな色。
そしていよいよ町並みの地区へ。
石州瓦の多様な褐色、焼き板塀の黒、ベンガラの混ざったピンクの壁、白い漆喰。
それらが絶妙の統一感を産んでいる。

日向ぼっこの猫の喉を撫でて悦楽の極みに導いてやったり、100年前の小学校を見たりして、土産物屋へ。嫁ハンが試食しながら見て回ってる間に、店番の婆さんと話す。
今年は春が遅いと言う.そういえば梅がやっと満開だ。「この冬は室内も零下3度、やたら家が広いばかりで寒いので、もう耐えられない、テレビを見れば10度も暖かな所があってうらやましいです」と冬の辛さを聞かされる。

これほど寂れても、気合を入れて建てられた家々は100年経ってもしっかり残っている。
貴重な財産だ。
最後にもっとも造りが良いと言う西江邸へ。
急坂を徒歩で登ると満開の梅の古木の向こうに整然とした邸宅が見える。
奇妙な曲が入った案内テープでなく、老女が案内してくれる。
雰囲気がある人なので女房が尋ねると、この屋敷のオーナーであった。
先祖代々、普請道楽でどこを誰が変えたとか詳細な解説。
本を買いすぎて床が危ないとかいう話から、読書傾向、購入の仕方は?と話が弾む。素敵な婆さんだ。
「植木屋は木の形ばかり気にして枝を切りまくる。私は花が見たいので喧嘩ばかりしている」とおっしゃる。ぜひどんな喧嘩なのかみてみたいものだ。
旦那は白髪でバレンチノのセーターを粋に着こなしたハンサムガイで、ふたりでこの屋敷を守っている。「豆腐一丁買うにもはるか下まで降りていかねばなりませんから、不便なことこのうえない」と岡山市内でずっと暮らしてきた婆さんは嘆いておられた。
広島郊外の丘に住む俺も街中で暮らしたいと思う。わかります。その気持ち。

成羽から1時間も車で走れば総社に着く。
旅行最後のメニューは吉備路のサイクリングだ。レンゲの季節が最高らしいが、1ヶ月ほど早かったようだ。
五重塔で有名な国分寺からのんびり40分10km少々の専用道でほとんど平坦。
走りきったところに見所の多い吉備津神社がある。
この神社の回廊は400mもあるし、本殿は二連が一体化した唯一の様式で有名だ。
道中ヒバリがいっぱい。
往復20km、車を気にせずに走れるということは、すごく楽なことだ。
ドイツでは休日に車を通行止めにして自転車専用にする地区がある.
こういうところから本気の環境意識が生まれるし、戦争と平和の意識も育つ。
と車を否定したくなったところで、自転車を車に積み込んで一路、高速で広島へ。
安芸津のミカンを口に放り込んでもらいながらノンストップ、自宅まで二時間かからず。
早い。

3日間、きままに動いた慣性が残って、翌日も陽気に誘われて市内の桜見物へ。
あちこちの川べりを走り回って、もっとも花が開いていた工兵橋のあたりで、お弁当。
話題は子供たち3人と5台の自転車を並べて走っていた昔々の頃のこと。

帰宅後も体力を持て余して近所の無料テニスコートへ。もう少しでシングルス勝利というところで降雨。
たっぷり遊んで。これでやっと落ち着いて仕事に戻れそうだ。

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女房がコレステロール値を抑えるとかで、自転車に乗り始めた。黄色いプジョーが可愛いこともあるし、実際良く走るからでもある。これは譲るしかない。
そこで、これまでのチャリのタイヤやチェーン、バーテープなど交換してリフレッシュした。
また、無駄なパーツを取り除いたので、分解と組み立てが5分以内でできるようになった。
 
五日市から宮島まで走って、輪行の練習も済ませ、準備は整った。明日から三日間で大崎島や成羽など中国地方の「歴史的建築群」を見て回る予定だ。


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開戦の日、平和公園を歩いた。

公園全体は卒業式を終えたばかりの派手派手しい衣装の女学生が歩き、修学旅行や海外からの旅行者と、いつもと変わりない光景だ。

この写真の背後、記念碑の前では、ささやかな「座り込み」が行われていて、それを報道するクルーが動き回っている。公園の中には映像を送信するための衛星アンテナ付の中継車が停まっている。そこから全国に放映される型どおりの映像を想像する。

テレビや新聞から得られるものは、報道用に編集(変形、削除、増幅)された情報ばかり。一方で権威ある筋からの情報は検証もなく流す。


いま何が世界で起こっているのか、それを知りたい。何がこのような事態を引き起こしているのか、本質を知りたい。

その後、書店で立読みをした。腰が痛くなって椅子を探し、たまたま座った近くに在った本を手に取った。PHPという説教臭い出版社、著者も梅原猛なのでためらうが目次に引かれて流し読む。

いつものように道徳と宗教心の喪失を告発し、日本・東洋文化の復権を提唱するというパターンであるが、現在生じている事態の核心を突く内容に驚かされた。

アメリカ=悪、ブッシュ=馬鹿という図式ではなく、我々ひとりひとりの在り方にもこんな世界になった原因がある。漠然とそう考えていた俺が求めていた回答のひとつである。
その是非はともかくとして.

そこからひとつエピソードを紹介。

アメリカ初代大統領、G.ワシントンはとても優れた人物だったので、たくさんの権限を大統領(彼個人)に与えた。しかし、その後に選ばれた大統領には、その権威に相当する人格者はいなかった。そこで本当のリーダーを育てるにはどうすれば良いかと考えた人たちが、いまアメリカで研究を進めていて、世界の知恵を集めようとしているという。
権限の縮小でなく、人格者の養成を考えるところがユニークだが、残念なことに時間がない。

新しい哲学を語る
梅原 猛 (著), 稲盛 和夫 (著)
PHP ¥1300

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・・・・・・・・・・・・・・


パンドラの箱が開く。














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「教えてください」と声をかけるとき、どこかで相手を馬鹿にしているような、引っ掛かりを感じる。
相手の油断が見えるからか、あなたの好きなことをさせてあげますよという心のアドバンテージからか。
教えるというのは、快楽だ。おまけにそのことで、より深く理解できるようにもなる。
気持ちがいいから、もっと教えたくなるほどだ。
それで往々にして人は教えすぎる傾向がある。
また、この快楽の中には主従関係に似たものがあり、理解することと「言うことを聞く」ことが混同される。
「教えてください」は「あなたに従います」ということだ。
気持ち良くさせてあげましょうという申し出だ。
だから金を要求されることはない。
授業料は学校という施設に支払われるものであって、「教わること」は当たり前のこと。
授業の後、教えてと尋ねてきた人に金を要求したら、人殺し並みの扱いを受けるだろう。

こんなに得な話があるだろうか。
どうして教えてもらわずにおられようか。

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春めいてくると、落ち着かなくなる。何かしなくてはと。
準備は着々進めているのだが・・・
ここでは、青いりんごでも


輪行できる自転車が2台になったのだから、これで旅に出なくてはもったいない。
これまでにそろえていた携帯式の工具セットや空気ポンプは、息子たちが大学のサイクリング部に入って使い出したので、そのたびになくなった。
古い自転車はチェーンとタイヤは最低限交換しなくてはならないだろう。
予備のチューブもあったほうがいい。
このように怠りなく準備をしていくと滅多にパンクしない。
新型の皮製サドルはとても硬いから、女房が乗るときは交換したほうがいい。
そんなパーツをネットで買い物。
ざっと1万円。
どんな大きな自転車点でも、これほどの在庫はないし安くもない。

この支払いのために初めて郵便振替を使う。
カードで操作すれば一番安くなるということで、局員がつきっきりで丁寧に教えてくれる。
そうか、ハイテクに不慣れな老人への対応なのだ。
「そうかそうか、いや、ありがとう」
喜寿を迎えたような気分だ。

「教えてもらう」ことの便利さ快適さに、最近になって気づいた。
これまでは知らないことでも知ったかぶりでごまかして、隠れて調べたり苦心して自習していたけれど、大概のことは人に聞くのが一番早いし、うまくいくし、人間関係も良くなる。


このことについては、また書こう。
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ときどきBSで有名な映画スターが俳優養成所の人たち(みんなが若くない)を前に、自分自身を語るという番組をやっている。
生まれ育ちや、親の職業で始まって(こんなのは日本では差別になる)必ず高校の話題になる。決まってそこには「忘れられない先生」がいて、そのアドバイスで大学に進学し、そこから・・・と話題が展開していく。
どうもアメリカの先生は才能を見つけ出して、発展させることを至上目的にしているようだ。高校の演劇部が成果を競って、優秀な生徒を引き抜くという話をケビン・スペイシーがしていた。転校したらそこにヴァル・キルマーがいたとか。嘘みたいだけどみんなエリートなんだな。
アメリカでは演劇的な才能は重要だろう。大統領もいかにかっこよく演じるかで評価されてる。
番組のインタビューでは好きな音、嫌いな音、なってみたい職業、絶対に嫌な職業、好きな悪態、天国に行ったら神様になんと言われたいか、なんてことが必ず質問される。
日本では不可能な質問も多い。違うものだな。
デカプリオをみてもわかるように、アメリカの俳優は技巧派が多い。徹底したリアリズムが基本だから。

演技っておもしろそう。
「本当の自分探し」なんて不毛なことをやるより演技を学ぶべきだ。

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やっと大学のパソコンが復旧した。
ごく初歩的なミスもあったが、絶対に素人には解決できるはずのないシステムの問題点にも悩まされた。
車でいうと走れなかったり止まれなかったりするような重大なトラブルが、そんなことから発生する。
我々の生活は恐ろしいものに依存している。
でももう抜けられない。トラブルの間にも、どんどんメールはやってくる。
情報鮮度の低下が早まっているのにシンクロして仕事の速度も速さを要求される。
現代の忙しさの原因はCPUの高性能化にもあるはずだ。

パソコンのハードディスクをフォーマットしたので、これまでのデータを保存した。
でも本当に残さなくてはいけないもの、必要なものはほとんどない。
消耗品だ。
というより、愛着を抱かせない。
モノは捨てがたい。よすが、というのか記憶が凝縮されていたり、そこから広がったり。
でも情報は・・リンクしてるから捨てられないというぐらい。


少し暇になったので何本か映画を見た。
「ロードトゥパーディション」意外な映画で絵画を見る楽しみを味わう。
いきなりベン・シャーンでちょっとワイエス、時々ホッパー。
近代アメリカ絵画の巨匠、揃い踏みの感あり。
しっかり手間と金をかけて画面を作りこんでいる。
「アメリカン・ビューティー」の監督だった。
彼はカメラマンを大切にしているのか、物語の中に、おや!と思わせる映像を挟み込む。
あの時は風に舞うナイロン袋にひきつけられた。
断片的になっても、ストーリーよりひとつの映像にのめり込む。こういう映画が好きだ。
そういうシーンが映画には必要だ。

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春だ。
我が愛車は冷たい風にあたらないように
玄関に置かれている。
花粉症がなかったら毎日乗りたいのだが、きょうは車にするしかないほどの好天。