以前にこのページで、新しい自転車をオーダーしていることを書いた。
それが出来あがって、そろそろ3週間になる。
雨の日以外は毎日これで通勤していて、走る快楽に浸っている。
あほらしくて車になんか乗ってられない。
それほど気持ちよく走る。

ところで、この自転車との初対面はかなりショックだった。
通勤用にさりげなく走りたいから、レーサーみたいに原色ギラギラにはしたくないと、ベージュのメタリックを選んだのだが、これが思ったよりメタリックで夜の光ではほとんど銀色に見える。
他のパーツと同一色になってメリハリがない。それがハンドル、シートフロントギアの黒との配色でメッチャ地味になっている。卒倒したくなるほど失望した。

しかし、昼間の光で見ると当初に感じたような渋味である。旅行中に見かけた派手過ぎる自転車に比べても悪い選択ではなかったと、いまでは考えているけどメタリックにしたのは間違いだった。
また700Cというタイヤの大きさに驚かされた。それで前の自転車と同じセッティングにしているのに地上に足が着かない。坂を登るときも厳しいものがある。

ま、こういう話はどちらかというとマニアックなもので一般の人々には興味がないのだろうな。
人生の喜びってそういうものかもしれない。

きょうの晴れわたった空と快い風は、すべての人にとって喜びだろうけど。
さて、今夜も突っ走るぞ。メカの選択はバッチリだった。ほんとに気持ちいいんだ。


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美術館や博物館が集中する上野公園。
ここには25年以上も前に一度来たきりで何も知らないに等しい。
日本に住む美術関係者としてはヤバイので、今回見ておくことにした。
まずは西洋美術館、ここではレンブラント展が始まったばかりだったがパスして常設のみを鑑賞。
10時過ぎとはいえガラガラである。館内には「うっとうしい油絵」が並ぶ。
彫刻はやたらとロダンばかり。それもコーティングされた表面がヌルヌルして触覚を感じさせない。
17世紀オランダの風景画家ロイスダールとモネ、描きなぐったようなマネ、それに館内の憂鬱さに感染したような監視の女の子たちが印象に残る。

国立博物館に入ったところで強烈な眠気に襲われ、ベンチで居眠り。
外国人が多い。ここで日本伝統美術の最高峰が一覧できれば良いのだが、多様な展示であってもベストではない。文化で世界に張り合おうという気迫が無い。やり方次第で大英やルーブルに匹敵する博物館は可能なのだが。
俺には長次郎の楽焼だけが残る。
奥の芸大では展示が無かったが周辺の雰囲気は良かった。ちょっとロンドンみたい

駅の食堂で昼食をとる。店内は普通っぽくない人が多く落ち着けない。平均年齢も高そうだ。そういえば上野全体に20年以上昔の雰囲気が漂っている。

30分後、新宿のオペラシティへ。
息子達がお奨めのICCインターコミュニケーションセンターを訪れる。
音響作品の展示があり、街のノイズをミックスして40個のスピーカで聴かせる作品や、ビンの中の微かな音波を増幅したインスタレーション、ヘッドフォンをつけて歩く音の森など、とても楽しめた。

ふと周りを見渡すと観客は20代の若者ばかり。図書室へ向かう階段の窓には巨大な都庁やNTTのメタリックな建築群。
数日間にわたって古い町並みや宿場町を訪ね、浸っていた雰囲気との落差。
しかし、俺の中ではそれらは対立するものではない。ともに好ましく充実感を与えてくれるものだ。その充実感とは?
質の高さ、内容の深さ・・・・・
自分の問題として、それを考えてみなければならないな。

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夕暮れの甲州街道を東京に向けて走る。
軽四では息切れするぐらいの厳しい峠が二つ、自転車では絶対に走りたくない3kmものトンネル。
首都へ向かう街道なのに貧相で交通量もさほど多くない。
ある所で歩行者が目立ち、イチョウの並木が始まる。八王子だ。突然に街になった。
道路を人が歩いている。それがとても新鮮だ。当たり前のことなのだが地方都市では見られなくなってきている光景だ。
イチョウ並木は延々と4kmほど続き、その後は大きなケヤキに代わってそれが新宿まで続く。こんな長い並木道は他で見たことがない。素晴らしい。
途中、生まれて初めて吉野家に入り牛丼を食べる。
安い、早い!コンビニで弁当を買うよりも遥かに安いし、腹も膨れる。
意外に中年男が多い。そういえば男ばかりだ。これが吉野家の限界か。現代日本で数少なくなった男の世界。それが吉野家だ。

息子のケータイに友人からの詳細な道路案内が入る。
パークビルを左折して都庁の前を進めとの指示だったが、一筋手前を曲がってしまったので。高層ビル街の劇的な光景を見逃してしまう。
しかし青梅街道のJRガードをくぐれば目の前いっぱいにネオンぎらぎら歌舞伎町だ。
写真を撮りたいところだったが、俺はハンドルを握っていて、息子に頼んだら「俺にはこんなものいいとは思えない」と冷たい返事。残念。
しばらく走ったところで運転を交替し、東京案内をしてもらう。ガラガラにすいていて快適。
50年前にヒットした島倉千代子の「東京だよ、おっかさん」が思い出される。
ということで無事に東京を抜け松戸に到着した。
すごいぞ、軽四。
大学の寮はスカッドミサイルの直撃を三発ほど食らったような混沌の極地であるが、休暇中で空いてるからそこに泊まらせて頂く。爆睡、疲れきっていた。
やっぱり軽四。

(続く)
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最近、古い町並みを集中的に訪ねている。「どうして?」と息子に尋ねられて返答に窮した。
何故なんだろう?
考えたことなかった。
すごい速度で日本が、世界が均質化しているので、あわてているという感じかな。
長い年月の中で造られてきた、その土地独特のものが、どんどん破壊されている。
その後に置かれる、たいていの「新しいもの」は効率と採算性を優先させられているので、我々を幸福にするものではない。
快適に、安楽にするものであっても、生きる喜びを与えてくれるものではない。
まあ、そんなたいそうなものではなくっても生活感が欠けているんだよなあ。
なにしろ俺の過去は明治村に展示されているぐらいのものなのだから。

2日目の宿泊地として選んだ妻籠は、町並み保存のさきがけとなった地で、30数年前に高校生だった女房が訪れている。
その頃から保存整備が始められているので、すっかり周囲との自然とも馴染んで昔の面影を違和感なく保っている。妻籠(つまご)に向かう手前にある馬籠(まごめ)という宿場町は、近年に整備されたので映画村のような空々しさがあり、商業的な演出が気にかかった。
しかし保存だけでなく人々はそこで生活していかねばならない。問題は複雑だ。
妻籠が提唱した「売らない」「貸さない」「こわさない」の3原則は有効だろう。
塩尻に向かう中仙道の途中に妻籠と同じような奈良井の宿があり、この三つの宿場町が異なるポリシーで保存を考えている。いずれの町も首都圏と名古屋に挟まれて3000万人の背景を持つ。リゾート地としても信州は利点が多い。
妻籠では朝早くに散歩にでると、巻尺を手に克明なスケッチをしている若者や、ビデオやカメラを担いだオッサン、何組もの中高年夫婦などが静かに行動していた。
カメラは息子に渡して、のんびりと手帳にスケッチしていると、小奇麗な猫が寄ってきたのでしっかりマッサージしてやる。
ここは島崎藤村の「夜明け前」の舞台になった所だ。
付近の寺には満蒙開拓団で亡くなった六十余名の碑が建てられている。
過酷な暮らしを強いられていたのだろう。昔のままを保った民家は簡素な天井と小さな囲炉裏で、とても現代人には冬を過ごせそうにない。
昔に戻りたいという住民は皆無だろう。

都内の渋滞を避けるために夜遅くに東京に着くことにしたので、あちこちに寄り道。
諏訪神社、さらに寄り道すべく八ヶ岳へと向かう。
この日もよく晴れ渡って霧が峰、蓼科、八ヶ岳と広大な眺望が楽しめる。
道を尋ねた農業大学校の直売ショップで巨大なハロウィーンカボチャが並ぶ。
このデカイのが2000円。重さ30kgいかがです?

(続く)
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これはどこの風景か?
なんと信州、八ヶ岳でございます。
免許を取った次男が、女房の車をもらって東京まで乗って帰りたいというので、酔狂にも道中に付き合ったのだ。
軽四があれほど走るとは思ってなかったので、相当に慎重な計画を立てて2泊3日で、しかも中山道を経由することにした。
岡山で立ち寄った、裸祭りで有名な西大寺が最初の拾い物。
修復にかからないと崩れるぞ、というぐらいのボロさがカトマンズを思い出させる。
それにもまして付近の町並みがよい。
自転車屋のおばさんから付近の歴史について話を聞く。

「日本のエーゲ海」をキャッチフレーズにする牛窓で昼食。
街を見下ろす神社の階段で、女房が作ったおにぎりを食べる。
我が家の旅行ではこんな食事が普通だった。風にあたりながら町を眺め手作りの弁当を食べる。これが一番いい。
ただし、アリを摘み出しながらの食事。女の子は喜ばないだろうな。

閑谷学校。名前からして誰も居ない深閑とした雰囲気を予想していたら、結構にぎわっていた。
ドーナツのように丸みのある石壁で周囲が囲われている。
造園を専攻している息子はこういうものに特に興味を示す。また庭園とは不可分な関係にある建築にも関心が深いようだ。ボランティアガイドのおっさんと話したが、このような形になった理由は定かではないという。
石組みは滋賀の穴太衆(あのうしゅう)が指導したというが、他では見たことのない形だ。
殿様が気まぐれにオーダーしたのか、中国や韓国に似たものはないのか、この形が気にかかる。

一泊目は京都の実家。親父の89歳の誕生日と敬老の日を祝って乾杯。

翌日のルートは鉄道では普段に通ることのない鈴鹿越えを選ぶ。目的は1,8kmにわたって宿場が残るという関の宿だ。
鈴鹿峠は今でも山賊が出そうな雰囲気の険しく深い峠なので、軽四では登坂にストレスを感じた。徒歩旅行の時代では宿場の成立は当然に思える。
最近に整備された道路が町並みと調和していない。自然石舗装というが遠目には黄土色に塗りこめたようで質感が消えてしまう。溝を覆う石も規格品の御影なので「不自然」だ。写真に撮ったり絵を描いたりすると「調子が飛ぶ」。この舗装の話題でも音響を専攻する長男では車の騒音の問題になる。ものの見方、捉え方もいろいろあるものだ。
この路上で祭りの時には大きな山車が軒をかすめてすれ違ったことから「関の山」という言葉が生まれたのだと聞いた。その山車が収納されている建物の窓を覗いていたら、通りすがりのばあさんが「関の山ばっかり言われてかなわんわ」とぼやいた。あまり嬉しい言葉の使われ方ではない。こういう表現では「胸突き八町」というのがあるが、とWEBを調べてみたらhttp://www.tokaido.co.jp/lab/wada/tour31.htmここにすごい量の紹介があった。
まあ、言葉の意味って恋人同志でも食い違って悲劇が起こることも少なくないのだから、語源を確定するのは至難の技だろうな。

このあとの高速道路で車の屋根にはめられている樹脂製のモールが風圧で飛ばされる。
この様子では到着した時にはオープンカーになっているかもしれない。

さてお次は明治村へ。
危惧したほど悪くなく、かなり楽しんだが広い園内を90分で回るのはきびしい。
いきなりフランク・ロイド・ライトの設計した帝国ホテルがあって驚く。コルビジエに近い建築家だと想像していたが、これはインカやアステカを思わせる呪術的なモチーフで飾られ、天井も低く陰鬱な空間に仕上がっている。
オープニングが関東大震災の日だったというから、日本のそれからを予感したものだったのだろうか?
生家のすぐ近くにあったレンガ造りの交番を見た時はショックだった。子供の時の記憶ではもっと大きかったというのはよくあることだけど、周囲の景観から切り取られて別のロケーションに「保存・展示」されている違和感。
大英やルーブルを訪れた「現地人」が抱く複雑な思いが部分的に理解できるようだ。
幼かった俺はこの交番に拾った5円を届けに行ったことがある。
交番の横を走る「チンチン電車」も家の近所を走っていたものだし、このレールに釘をおいておくと小さなナイフが簡単に出来あがった。ほかにも京都のものはいくつもあって、自分の過去が、こんなところに保存展示されているなんて。
「50年も生きたんだから」と言われてもピンとこない。歳をとるというのはそういうことなのだろう。だから何歳になってもピンとこない。

(続く)
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9月になってから夏本番。去年もこうじゃなかったか?
戸を開け放って、玄関前に出したデッキチェアで読書、のふりをして居眠り。
「何もする気がしない」とばかり、だらーっと座りこんで気分は南部だ、ブルースだ。

身内に不幸があって、新幹線を乗り継いで7時間という遠距離を旅してきた。
時々居眠りしながら刻々と変化する空を見続ける。
自分の周囲で、「こんなこと」が起こるなんて、それを考えても見なかったことが不思議に思えるが、実際に起こってみないと考えられないものだ。

帰りに東京で二つほど美術館を訪ねた。
国立近代美術館の常設は、まるで美術の教科書のような展示だ。
以前は古臭いと目を背けていたような、明治から昭和初期の作品が今回は新しく感じられた。
100年前のロンドンのレンガ建築が真新しく見えたのと同じような印象。
流行は変わっていても、この100年間のことは後世の人たちに大きくひとつにまとめられてしまうのだろう。

都立現代美術館のサム・フランシスがとても良かった。
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「自然ってなに?」と尋ねられて簡潔に回答できる人は、まず居ない。
でも「不自然」というと「わざとらしい」とか「作為的」「つくりものめいている、つまり下手」など楽に説明できる。
「自然」という言葉にはいろんな意味があるけど、ここで話したいのは「不自然でないこと」としての自然だ。

ART=人工というぐらいだから芸術は作為の集合のようなものなので、どんなスタイルの表現であろうと、自然については常に考えさせられている。
帰省中の京都でもそんなことがあった。話の前に実家の近くに在る西本願寺の国宝「唐門」の「獅子というか狛犬みたいなもの」の画像を見てください。秀吉が住んでいた桃山城から移築されたものです。

楽焼というものがどれだけ知られているのかわからないけど、オレの印象では、ゴツゴツした手びねりの素人っぽい器でしかない。その楽焼の小さな美術館が、油小路(あぶらのこうじ)をずっと上のほうへ(北へ)いったところに在って、いつもその前を通りながら素通りしていたのだが、先日チャリでぶらついているとき雨が降ってきたので、雨宿りのつもりではいってみた。800円、ちと高い。
上品で(お金持ち風の)おばさんがパラパラいて関東弁が話されている。
半ズボンでTシャツというのはオレぐらいのもの。ハイソな雰囲気を壊している。いつものように。

450年前の初代から現在の15代までの作品が並べられていて、まず流れに逆らって初代の長次郎から見ることにする。
両手を広げたくらいの大きさの獅子というか狛犬みたいな塑像が置かれていた。唐門の画像が立体になったと想像してください。
それはロダンの習作といっても通じるような激しい動きを大胆に表現したもので、桃山時代のイメージが一変するほど驚かされた。
その隣に黒々した艶消しの茶器が置かれていて、それら二つの作品には全く違和感がなく、共に大胆に造形されている。そして河原の石の様に「作為がなく自然」だった。
オレはこれまでこの手の陶器を見て感動したことはない。茶の世界は胡散臭く形式的なものだと敬遠しているし、当然に茶席に参加したこともなく、千利休についてもよく知らない。
この茶器は利休がオーダーしたものだというが、これを見ると彼が追求したものがわかるような気になった。
「作為のない自然さ」とでもいうか。 

館内には初代長次郎から順々に茶器が並べられてあるほか、製造の過程が実物で展示されている。
独特の窯やフイゴを眺めていたら、館のスタッフが「動かしてみて」と声をかけてきた。
ゆったりと取っ手を前後させて風を送るが「もっと早く」とせかされてイチニーイチニーでペースを上げる
「もっともっと早くです」といわれてボート競走のラストスパートみたいに漕いだ。
「それぐらいの風量を送りつづけないと十分な高熱にならないのです。」と製造について詳しい話をしてくれた。
基本的な技術は初代から変わっていないという。伏見の粘土に加茂川の石を釉薬にして作る。

「適当にやったら勝手に出来あがっていた」ようなものを作為を凝らして作り上げている。こういう芸術ってほかにあるだろうか?
いやあ、知らなかった。衝撃でした。

感銘を受けて、再び油小路を上がる(北へ進む)とすぐに光悦の住居跡という表示があった。
そこからほどなく行くと千利休の屋敷の跡(今は茶道家元の拠点となっている)に着く。
なんと徒歩で10分少々の範囲に、ジャパネスクの元祖たちが住んでいたのだ。
そして千家も楽家も続いていて・・・・今ではそこにすごい金が流れていて。ふうむ。
「これが京都なのね」っていうことか。

ちょっとしらけてしまったけれど、すごいものだと思う。モノに説得力があるし哲学もしっかりしている。
この「自然」について問題意識を持っていきたい。
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台湾に行ってきた。

というのは勿論ウソで、ここは神戸の南京街。シューマイならぬシュークリームがおいしいと姪から勧められて、芦屋の友人宅からエッチラオッチラ15kmほど自転車を漕いで。(帰りは畳んで阪神電車で)
途中「クリムト展」を見る。予想外に楽しめた。ウィーンを舞台に絡まりあう芸術家と愛人たちのロマンチックというかデカダンスというか屈折を味わう。
この日から真夏の天候が戻ってきて、空には巨大な入道雲。海からの風が六甲に当たるからか、京都とも広島とも違った空を感じる。垢抜けているというか都会的なのだ。
説明は出来ないけどそんな感じ。
この辺りが田舎だったときにも、こんな雲が湧き上がっていたのだろうなと想像すると奇妙な感じ。水面に空が映るように、空に地面が映るのではないか?

今年は「伝統的町並み」の探索にのめっているので、今回も近江八幡、五箇の庄そして大阪の富田林を訪ねた。そのために持っていった自転車だった。
どこに行っても豪商の邸宅跡を見学することになるのだが、真夏ということで障子は全て開け放たれ、深い庇のために薄暗くひんやりした室内から眩い光の庭を眺めることになる。
これが涼しくてとても快い。
ここだったら熱波が襲来しても生き残れそうだ。
五箇の庄では「うちわ」の展示、それも昭和の団扇が集められている。普通に当時の美人を描いた団扇が、いつの間にか歴史的な資料になっている。今ごろの美人を今風に印刷したら、何十年か後にはこんなノスタルジーが生じるのだろう。
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先週の旅行(帰省)について。
大雨の午後、高速バスで大阪に向かうが、肌寒い。
何ヶ所かで渋滞したものの30分少々の遅れで到着、と思ったら梅田で大混雑。500mを40分かかった。
それでも自転車を持っての旅にはバスが最高に便利だ。

予定した計画からまずは親孝行。
実家の物置を修理。扉を黒の化粧ベニヤに張り替え外壁を栗色に塗装した。
その作業中に通りがかった昔馴染みのオッサンやオバハンと言葉を交わす。俺の同級生の親だった人たちだから、相当な年齢だが基本的に変わっていない。
そんな老人から「髪が白くなったなあ」と言われる。帽子を被っていたからで禿げ頭を見たらなんと言うだろうか?
奈良の古寺巡礼。
外出が好きな親父だが、もうすぐ89歳、さすがに足が弱ってきたのでレンタカーを借りて奈良へ。
学研都市のインターを降りた時に、新しい国会図書館関西分館の傍を通過した。ド田舎だったところだが・・・豹変。
まず秋篠寺へ。こじんまりして歩かなくてもいいところを選んだ。相変わらず美しい前庭の苔。しみじみした本堂
昨年回ったばかりだけど、車での移動はカーナビに助けられる。

お次はオヤジご希望の薬師寺。
お盆開けで観光バスは1台も無く観光客もまばら。その静けさでいつになく薬師寺が好ましく感じられた。新しく完成したばかりの講堂と芝生の緑が別世界を作っている。
団体旅行者と世間ずれした坊主の俗な雰囲気のなかでは、仏像のよさが感じられなかったし、高田光胤も嫌味に思っていたけど、今回は見直した。よくここまで再建したものだ。現代日本の建築の中で最も後世まで残るものは、これだろう。

そして新薬師寺へ。秋篠寺と同様にとても狭い道で車泣かせ。それで静かだからけっこうなことだ。
両親は十二支に対応した十二神将にローソクをあげていた。今どきの若い人たちも干支にこだわるのだろうか。

ラストは郊外の円成寺。自転車で行くかと考えていた所で浄瑠璃時のような阿弥陀堂と庭園がある。
柳生をまわっていつものように混んでいる24号線を京都へ。
帰宅前に立ち寄った市場は俺が通っていた幼稚園の隣りで、ここに入園する時、俺は嫌がってぐずったものだから、オヤジは俺を自転車に乗せてこの辺りを走った。その路地の光景を覚えている。
その路地が今もあるから記憶が持続しているのかもしれない。

あのころ車は100世帯に1台もなかった。変わるものである。
これからどんな変化が生じるだろう?1000年以上も昔のものを見てきてそんなことを考える。
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これまで混雑するお盆休みに帰省することは避けてきた。
車窓から、畦道に咲く彼岸花を眺めながら広島に戻ってくる。
そんなことが多かったけど、今年は事情があって早めに帰ることになり、また別の事情の為に滞在期間も長くなった。
そこで京都での予定を一日がかりで考える。
インターネットと本屋の立ち読みで、次のようにほぼ決定。
*基本的に親孝行する。
@藤井寺の千手観音--富田林の古い町並み--大阪芸大---当麻寺
A京都北部、美山の古い集落--由良川沿いに下り綾部へ
B近江八幡から安土周辺の町並みと水郷風景
C神護寺、高山寺、光悦寺、円通寺など。大文字の夜の壬生寺の六歳念仏踊り
D友人を案内して東山辺りへ
E駅前の大型書店で立ち読み三昧、保坂和志の新作を買う。
F神戸で晩飯
これで十分だ。
行きの高速バスの中で読むはずの本も2冊、平田オリザの「芸術立国・・」「カフカ短編集」を「用意した。もちろん缶ビール500ccを飲むので半分は眠っているはずだ。
ということになったが家族3人みんな行動は別。だからドロボーに入ったらひどい目に会うよ。
もちろん、春に買った折りたたみ自転車プジョーもこの旅のお供だ。
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通勤に使ってる自転車、もう10数年以上も経ってギアが磨耗してきた。
この際、買い替えようとネットで調べてPANASONICのオーダーシステムで注文することにした。
これは通信販売でなくショップを通して注文することになっているので、ニギツの近くでロードを中心にやってる老舗の自転車屋を訪れた。
店の主人となんだかんだと話していたら、フレームをオーダーして他のパーツをこの店で組んでもらったら、さらに安くなるということで、ぐっと高級なパーツを装備できることになった。
フレームの大きさを2センチごとに指定でき、色は25色の組み合わせで24万通り。
白を考えていたが主人のアドバイスと実物サンプルからベージュのメタリックを選ぶ。
会社のロゴはなくM.HORIOとネームが入るだけ。とてもシンプル。
採寸用の台車に乗り、体の寸法に合わせてステムやクランクの長さを決める。まるで注文服みたいだ。
広島は坂道が多いのでフロントギアはトリプル、つまり3段。リアは9段あるが、それも細かくギア比を選べる。計27段。
ハンドル幅は肩幅に合わせると400mmだが狭めて380mm。サドルは無難にV型の広めのタイプ、ペダルは夜に走るのでガキっぽいけど反射版付き。
タイヤは通勤用だから700Cx28という少し広めのもの。
こんな調子で現物を比較しながら細かく決めていく。なんて贅沢なんだろう。しかも安い。
 
もう少し上のグレードにしても良かったのだが、サイクルウェアで決めて力走することはないので、さりげないものにした。盆休みが入るので完成は月末になるようだ。楽しみ。


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強い日差しをさけて木陰のある左端のレーンを走る。
毎年成長につれて影が大きくなる。50年もすれば涼しい木陰が道路の半分を覆うようになるだろう。
もちろんそのころ俺はいない。
100年後には大木になっているだろうが、そのころ街は存続しているか、怪しい。
明治の日本を見たい。100年後の日本も見てみたい。

話は飛ぶけど、普通の人って滅多にいない。
奇妙な人ばかり。そんな人たちが社会的な抑制や訓練で、かろうじて人間関係を保っている。それが世間じゃないかと思えてくる。
テレビのニュースはまさにそんな世界だけど、身の回りでも感じられる。