最近のページに写真が少ないのは、あまり自転車に乗ってなかったからだ。
電車や車では発見も少ないし、撮影も難しい。
歩くのが一番だが、そこまでヒマではない。まだ。
ペースに乗って走っていて停まるのは面倒なものだが、20mぐらい走ってからでも引き戻されるほど興味深いものもある。
カメラはいつもバッグの中に入れている。
本日の収穫はこれだ。
デコトラックは結構目にする。大抵は業者に頼んで作ってもらったものだが、こいつはすごいね、手作り。かなりヤバイ。
このUPもご覧あれ!
実用性が表現の犠牲になっていて、もうアートの領域に到達している。
八百万の神々が集って祭りだ。神楽だ。
日本人の宗教観とか民俗芸能、イノセント・アートからポップまで強力に発信している。
良し悪しとか好き嫌いはともかく、中高生にこんなことをやらせてやりたいね。
これが卒業制作展の作品だったら?
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一昨日から映像と3Dのソフトを学習している。
マニュアル書を見ながら操作していくので、数カ所に眼の焦点を移動しなければならない。
これが老眼には難しい。
しかし、久々の初物挑戦で、気づいたことがあった。
日頃、学生から「よくわからない」と苦情を寄せられているが、それと同様の体験ができたこと。
教える側が何気なく使っている「基礎用語」が初心者にはチンプンカンプンで、
マニュアルに従って、ひと通りの過程を学習してみる(これを学校は強制している)のは、窮屈でおもしろくない。
たとえ知識は生半可でも、自分なりのものを作りながらマスターしたい。
これは男性に多い要望と思われるが、はっきり言えば「あまり教えて欲しくない」ということだ。
オレは特にそう思っている。
だから、他人にも教えない。これが女性には不満らしいな。
水泳を教えるならプールに放り込めばいい、という教育論がある。
コンピュータは、ともかく大量の説明書を読まなければ扱えない。
ちょっとした設定ミスで動かないことも多い。
困ったことだ。
それにしても、相変わらずマニュアル類は、わかりにくい。
これは、よくわかっている人が書いているからである。
学校の授業でも同じことがあるはずだ。
だったら、よくわからない人が教えるほうがいいのかも?
これは、ある範囲では真実だ。
ともかく、教え慣れしてはいけないということか。
理解することは、そんなに簡単なことじゃない。
そして無理やり頑張ってやるものじゃない。
好きでなければやれないし、理解もできない。
いいですね「愛」。素晴らしい結論。
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さて相変わらず、何もせずに毎日が過ぎていくが、いつもと違うことといえば毎晩、全豪オープンテニスを観戦していることぐらいか。
あまりテレビは見ないけれど一年に四回のグランドスラムになると夜遅くまで付き合う。
好きなんだな。
ウィンブルドンに行ったし、全仏会場のローランギャロスにも行った。
行った、というだけである。ガランとして誰もいない時に。
ニューヨークに行くことがあればフラッシングメドウには必ず行くだろう。
ギターのほうは最近サボっている。もうバッハは諦めた。
無伴奏チェロソナタ・ギター版を始めたのは20年近くも前のことで、死ぬまでにはなんとかなると思っていたのに。
ピアノも全く弾いていない。このスペースだったら大きな本棚がおけるのだが・・とも思うけれど、
漆黒の塊がドンと存在するのはいいものだ。
自転車は通勤があるので続いているが、少し間があいて10日間ぶりに乗ったら、すごく背中が痛くなった。ドロップハンドルのタイプなので足は痛くならないけど。
新しい自転車が欲しくなってるが、気兼ねなく乗りまわせるのが古いもののいいところだ。
チェーンが伸びたようなので1コマ縮め、ブレーキの調整をする。
これだけでも、すごく乗りやすくなった。整備費タダなのも嬉しいね。
ホームページは「基礎-授業の記録」も更新した。画像が多くて遅いかもしれない。
見られた方は知らせてください。
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美術科の卒業制作展が開かれています。
県立美術館で28日(日)まで。10時から18時。見てくださいね。
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息子が使った「青春18切符」が一枚残ったので倉敷に行った。
それにしても、この名称、なんとかしてくれ。おっさんが買うとき恥ずかしい。
「周遊券」なんて実にいい言葉なのに。
みぞれ交じりの雨が降っていた。車内はセンター入試の受験生で込み合っている。
いつもこういう悪天候になる。そして受験生は風邪をひく。
翌日の新聞に問題が載る。
チラッと英語などやって、「まあ、いつもどおりだな」とか家族の前では言ってみるが、内心では「こんな問題だったら、どこにも受からん」とびびってる。
これを体力テストでやったらどうなる。体力知力で国民の平均を諸外国と比較したらどうなんだろう?
ショッキングな結果がでるに違いない。
ところで、倉敷、大原美術館、とてもよかった。
適量のご馳走をゆっくり味わった気分。
創立者の大原孫三郎のことは初めて知ったけど、偉い人っているものなのだ。
大実業家で労働問題を研究して、アナーキズムの世界的な資料を集め、福祉施設や病院を建て・・・
すごい!
冷たい雨が降り続いて、街には人影も少なかった。これでさらによかった。
セガンティーニのエナメルのような画面の輝き、マチスの木炭デッサン、グリスの洒落た額縁。
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寒かった。くたびれた、やっぱり。
それでずっと電車通勤だ。普通の人になったような気がする。
車内を観察して、多くの人が良い洋服を着てるので感心したり、広告が半減してることについて考えたりした。
歯医者に通って、磨り減ったり穴があいたところを補修してもらい、学期末の提出物を採点して会議に3回出た。
これだけで、もう週末になってる。
人生は短いのだから1週間が短いのは当然だが、実は1週間が短いから人生が短いのではなかろうか?
一瞬、たいへん深い洞察に到達したように思われたのだが、恥ずかしいほど当たり前のことだ。
でも、こういうことを人に話すようにすればいいのだなあ。
大学で授業アンケートをやっていて、美術科内ではオレの授業が一番わかりにくくて不親切だという結果が出ているのだ。
大衆社会では統計こそ真実であるから、その通りなのだろう。
とくにオレは反語的、比ゆ的な言い回し(皮肉や嫌味)をするからな。
もちろん反省もしている。けれど「すぐには理解できないことも多い」ということが忘れられてる。
日本語にも字幕がつけられる昨今のTV事情を見ていると、想像がつくことだけど。
さて、もうひとつ採点して明日はこんなことを忘れよう。
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やっぱり・・・たいしたことなかった。ショボイ雪。
ま、こんなもんだ。予想というのは。
世紀末だ、世も末だ、といっても世界は続いてる。
それでも、しっかり冷え込んでほどほどに雪化粧しているので、恒例の雪山登山を敢行する。
夕方に会議があるだけなので、自宅から火山(ひやま)を越え、山本から大学まで、ほぼ一直線に歩くことにした。
尾根沿いの登山道には暖かな陽がさして気分が和らぐ。
毎年、雪の日に近隣の山を歩いているのは、風流を楽しむことだけではない。
山が荒れていて夏場は茨や雑草でとても歩けないのだ。それに松枯れですさんだ光景も雪で覆われ、醜い姿が隠される。
マウンテンパーカとオーバーパンツ、登山靴に毛糸の帽子があれば濡れることはない。
カバンには弁当とお菓子、雪を食べるので水筒はいらない。
ケータイを持ってるとすごく心強いだろうなと思うけれど、山の中でたったひとりなんだという意識は消えてしまう。
「備え在れば憂い無」しというけれど、「備え過ぎれば憂いもなし」とオレは言いたいね。
憂いは在るのが当然、これがブルース。これが詩。
夢の中に思う人を見て、あの人が会いに来たと解釈した昔の人は、夢をテレポーションとして考えていたのだな。
峠で雪中に座り込んで昼食。ここからは海や職場も見える。
こんな所で食ってるなんて女房は考えもしないだろう。
快晴、静寂。枝に積もった雪が風に吹かれ弁当の上に舞い落ちてくる。
さてここからの下りが正念場。道がほとんど使われないので、密林状態。
引き返せば1時間で戻れる。靴づれも痛い。
しばし、ためらったが思い切って藪に突っ込んだ。
急坂を滑るように降り、視界が開けたと思いきや、造成前の伐採ですべての樹木が切り倒され道がふさがれていた。
戦場というか隕石の墜落か、凄惨な光景にたじろぐ。
倒木にすがりながら谷を下り、なんとか道にたどりつく途中、向うずねを強打。ここでこんな難儀をするとは。
今、市内からあちこちの山が造成されているのが見える。
どんどん人口は減っているし、結婚して家庭を持つ人も少なくなっているのに。
これらの土地はただの空き地にしかならないだろう。それでも破壊を止められない、二十世紀の強迫観念。
前半は戦争で後半は自然破壊というとんでもない時代だ。どうすればいいのだろう?
自分も山を削った住宅地に住んでいて、ディーゼルエンジンの車にも乗っているのだが。
それから後の風景は精神衛生上、「見なかったことにして」通り過ぎる。
そんな時のためにラジオを取り出す。
祇園新橋を渡る。川面が美しい。ちょうどモーツアルトがかかっている。どうしてか陽光が、この音には似合う。
大学まで3時間。ちょっとした旅でした。
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週末に大寒波が西日本を襲うと、ニュースのたびにトップで報じられると、まるで隕石が落ちてくるか、宇宙人が攻撃してくるかというような緊迫感が・・・そんなものはないか。
事前に察知できるのは低気圧ぐらいのものだから大騒ぎするのもいいけど。それに、正直な所、オレも期待してるし。
でもたいしたことにはならないのだろうな。どうかなあ?
オレは退屈してるね。
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帰宅する道中、英会話をラジオで聞く。「考え直す」というテーマで「セカンド パー・・・」という音が聞こえる。
車道の傍を走ってるときは、かなり聞き取りにくい。
何度か聞いてるとどうやら「セカンド ソート」と言ってる。こりゃSecond
sortかな?しっくり来ないが・・
いろいろ考える。単語の列に置きかえられないと不安になる。でも文字化すると発音が歪められる。
たとえばFamily。ファムリみたいな音だが、どうしてもファミリイと読んでしまう。
在りのままを聞き取る難しさ。最終的にカタカナに持っていこうとする習癖。
これは言語だけでなくて色覚でも生じていることだ。木を見たら茶色という反応。
実は茶色の幹なんて滅多にない。紫系の灰色が多いのだけど、これを絵を描かない人に説明するのは難しい。
訓練と言うか練習が必要なことってたくさんある。
英会話の後、局を変えたらルナシーが流れた。解散するらしい。「これからもずっとロックやっていきます」だなんて、
歌は完全に歌謡曲。それが悪いと言うのじゃないが、おかしいね。
その後、ちあきなおみの古い歌。ああ、歌謡曲。
良く聞くとルナシーと同じ世界だ。生きてますな歌謡曲。となるとロックとは何か?
こりゃまた難儀なことになった。しかし、
そこで家に着いた。
PS 「考え直す」はSecond Thoughtでした。これで安心。
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新しい車が次々に出される。
不況なのに。
車を買ってから5年になる。初めての新車だったから徹底的に検討した。
そのとき選択肢が少なくてがっかりしたので、オレだったらこんなのを作るのになあ、といろいろスケッチをしていた。
いま、「そんな車」がどんどん作られている。カーデザイナーになったら良かったか、と思ってみたりする。
もう少し考えると、みんながそんなことを考えていたから、こうなったということがわかる。
子供の名前を苦心して考えたら、みんな同じような名前だったりする、アレです。
それを掴まえるかどうかが経営者のセンスなんだろう。
車は国際的な競争をやってるから判断の当否が即みえる。「金さえ儲かれば何をやっても」という感覚では勝負にならないところがいい。
一方、学校は・・・・・・・・
現場の教師は気づいているはずだが時代錯誤の「教育的使命」に拘束されている。
何十年も昔と同じことをしてやっていってるところなど、他には見られないのに。
保守党の人はとくに学校を変えたがらない。でも、国土を削ったり塗りこめたり、埋めたりして風景を変えることには熱心だ。
どうして彼らが保守党と呼ばれるのかわからない。共産党が何故「前衛」なのかもわからない。
わからないことはないが、おかしいと思う。
全然違う話になったけど、それにもう手遅れだと思うけど、風景を壊すのは止めてほしいね。
国民が堕落したという話ばかりだが、どれほど風景が見るに耐えないものになったか。そこに生きる人間はどうなるか・・
学校だけでなく、さらに大きな環境が視野に入らないのだろうか?貴様らには愛国心がないのか!
なんて考えてると、風景を復元するという新土木事業が始まっている。
木組みの中に丸石を転がして、自然を模倣するような行程だ。ドイツ辺りが熱心な生態復元なのだろうか。
エコロジーも運動から「仕事」になる時代になってきた。
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グールドを買って帰り、聴きながら深夜までパソコンで遊ぶ。
寝床にまで持って入って聴く。
で、目覚めたら窓の外には雪が降り積もっていた。
さすがというか、カナダのTV局が制作した番組を見た人ならわかるでしょう。
彼は寒冷なカナダの田舎に育って、生涯その地を愛した。都市の雑踏に出る時は雑菌による汚染を警戒してマスクやらオーバーコートで体をくるむ。
そんな人間だった。とにかくクール。
演奏も極めてユニークだから、「あ、グールドだな」とすぐにわかる。人を惹きつけるノリというか吸引力がある。
ここではクラシックのことをよく書いてるので、通だと思われるかもしれないが、ほんの数年前から聴きだした初心者です。
ずっとロックで民俗音楽とジャズ、前衛などに行ったり来たり。一番わかるのはブルースかもしれない。
この正月にレンタル店で借りたCDは、ベック、プリンス、スガシガオ、山崎まさよし。なかなか正道を行ってるでしょ?
どちらかというと歌謡曲と同じくらいクラシックを聴いてなかった。
私は西洋画の教員である。
長い話になるから、こんなものでも見て頂こうか。
昔から教養ある芸術家は、西欧の美術館をくまなく訪れ、音楽会にも足を運んで、バッハがどうの、ブラームスはあれこれだと深遠に語っている。
中年にもなってレッドホットチリペッパーズを賞賛していて恥ずかしくないか。
そんなことも少し考えたが、ほんとのところはNAXOSという廉価盤シリーズとの出会いだった。
豊富な品揃えですべて1000円。地味な演奏家で新しい録音。つまりそこら辺の音楽会で聴ける音だ。
ナントカコンクール1位でルックス抜群なんかに2500円も出せまへんで。
クラシックはこれまでもFMで聴いたりしていたが、繰り返し聴くと違います。
感受性が鈍磨している分だけ多く聴いていると、なにかぼんやり見えてくるものがある。
鑑賞力は量と回数がベースに在って、感受性や知識を云々するのは、それからのことだ。
好きな曲があれば、いろんな演奏を聴き較べると更に興味が深まる。
何か楽器が弾けるともっと積極的に楽しめるだろう。
このプロセスは「素人」さんに美術を解説するときにも適用できる。
こちらは専門家であるがゆえに、当然と思って話していることが相手には難解であるという、しばしば発生する事態への対処法になるのだ。
特に年配になるほど、「作品の良し悪しがわかりません」と、説明を求める人が多くなる。
そんな人たちに「いろんな良さがあるものだから、ゆっくり気長に理解を深めていけばいいんですよ」ということが話せるようになった。
好きだから魅了される。「わかりたい」と願うのは愛するからだろう。
そこで「だから、わかったかどうかなんて、どうでもいいんだ。胸キュンのあの感じこそ」と恋愛論で結論にしたいが、これはあまりにもロマン派的な解釈である。
このような「わかりやすい」説明こそ疑ってかかりたい。
ともかく、聴くこと、そして見ること。
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次男が大学へ戻る。東京まで各停で15時間。分解した自転車にバッグが3個。ちょっと真似できないな。
バーゲンを見に街へ。
ガランとしている。ちょっと肩透かし。
衣料品は有り余っているので買わないことにすると、ほんとに見るものが無い。いつもの習性でパルコのレコード店へ。グールドのバッハ、フランス組曲が2枚組みで1780円。国内盤の半額、安い!しかし家はCD、LP、テープでいっぱいだ。それでもDr.ジョンの新作も欲しい。
また一両日中に八丁堀に来るので、今日の所は頭を冷やすことにして階下の本屋へ。
最近、立ち読みをしていない。
テニスコートにいる時間のほうがはるかに長いのだから情けないね。
買って帰った本は読まないこともあるが、立ち読みはかなり集中できる。そのうえ様々な本に囲まれることで結構、頭の中がかき回されるという効果もある。
でも、大きな書店は苦手だ。「大量に在る」というのはある線を越えると、「どうでもいい」から「無意味」になってしまう。実存的嘔吐の一種かも。時台遅れのスノビズムでしたが。
ロゴスの美術書を物色。写真集やデザイン書でCGのヒントをゲット。紙切れにスケッチしておく。帰宅したらすぐに真似してみる。これがグラフィックデザインの最も効果的な学習法だろう。
図書館で購入すればよいと思われる本の書名や価格などもメモする。以前はすごく熱心にやっていたのだが・・・吸収力が無くなったというより、外からの刺激を求めなくなったようだ。
しかし、きょうは良い本に出会った。ART :
at the turn of the MILLENNIUM
若冲のカタログより分厚い。
何百人かのアーチストの作品とコメントをまとめた洋書。4700円、「安い!」いつもこれがキーワードだ。本棚はいっぱいで置き場所も無いが、これはおもしろい、買う。
世界にはいろんな人がいるものだと感心。
いまグールドのインヴェンションを聴いているのだが、やっぱりいいですな。これは先ほどのCD、買いでしょう。
それにしても最近、おれはすごい金の使い方をしてる。ホンマにええんかいな。
これで日本の景気は確実に回復するだろう。
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写真ばかりでは能がないから、こんなものを。
パソコンを買い替えるときに懸念されたとおり、メールの設定がうまくいかなかった。
前のマックの時もすごく難儀した。よくもまあ、こんなに難しいものがバカスカ売れるものだなと呆れたが、久しぶりに設定をいじくってみたところ相変わらずの難しさである。
性能や価格の激変に較べ使いやすさに向上は見られないようだ。
まず用語。PPP、TCP、DNS、POP3、SMTP、これらの違いがわかる訳が無い。
結局、POPアカウント名の入力を間違えていたのだが、これは「メールアカウント名」「メールサーバーログイン名」「POPサーバーアカウント」「POPサーバーログイン名」とも呼ぶそうで「ユーザー名」と同じこともある。この「ユーザー名」は「PPPログイン名」「ネットワークID」「接続ログイン名」「アカウント名」「ログオン名」ともいう。
これはもう絶望的な混乱というしかない。
今度は自宅からホームページの更新をするための設定に挑戦だ。
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新年おめでとうございます。
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