30年近く前に、「スーパーリアリズム」と呼ばれた写真そっくりの絵画が流行した。
20年前に行ったこの課題はその影響のもとで生まれたものである。
小さなものを非日常的な大きさに拡大することから生じる驚きと、鉛筆を力一杯塗り込めて背景を真っ黒にするという持久力を実習の目的とした。
モチーフを暗幕背景で撮影し、現像してB4サイズ程度に焼き付ける。同じネガを反転撮影しスライドを作る。これらの準備をすべて自前で行ったので、かなりの時間、暗室にこもることになった。
学生は、ケント紙を水貼りしたB全パネル(1456x1030mm)に画像を投影し、輪郭や目印をマークしていく。一人に20分だけ時間が与えられる。プロジェクターを何台も使うのでヒューズが飛んだり、ランプが切れたりといったトラブルが続出した。
その後はプリントを見ながらの作業が続く。2週間連続の実習である。
これら一連の段取りでは、
濱崎修平氏から多くの示唆を受けている。遅ればせながら感謝したい。


当時は実習服も制服だった!整然と、でも刑務所みたいだな・・・



同じモチーフを3クラスで描くので最後の合評では3つの作品が並ぶことになった。



階調が幅広く現れる金属やガラスなどのモチーフが描きやすかったようだ。

 

 

左から画像、鉛筆画とその部分

 

石膏デッサンの未経験者の方が、写真の転写に淡々と専念していた。一方、研究所などでデッサンを学んできた学生は、写真に写された形態を理解しようと苦闘していた。

石膏デッサンでは把握した形態が視覚的に認識しやすいように、頭の中で形態を単純化して光源を想定し、「面」を意識しながら明暗によって表現する。
画面全体の統一感、秩序が、その作業によって演出される。

現在のコンピュータグラフィックスはこの考え方で成立している。(だからCGを目指す人は、しっかり石膏デッサンを学ぶとよい。)

しかし、ものを見なくても概念だけで描ける能力ばかり身につけるので、見ることが新たな発見、驚きにつながらない。こうして先入観の塊になってしまった状態を、アカデミックとして近代芸術は否定することになる。

この実習を「基礎」として取り上げた理由は、
物事をありのままに見ること、固定観念を排して現象を観察することを体験するには、写真の再現という作業が効果的であり、また絵の下手な人でも劣等感を感じることなくリアリズムの面白さを体験できると考えたからである。

理論的には、この実習によってアカデミックと印象派の絵画観の相違から現象学へと、認識の展開を体験することが出来る。
我が国では、印象派は文人画のように風雅な省略、味わいとして解釈される事が多いが、現代絵画の出発点として見直されなくてはならないだろう。

あまりにも煩雑な準備と、多くの補助スタッフを必要とすることから、この実習を継続することは出来なかった。将来、小人数のゼミとして復活させたい。