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8/5
早いな〜早いのぅ、時の流れ

プレッシャーになっていた膨大なレポート採点。
やってみたら、それほどでもなかった。
詳しく話すと読んでないのじゃないかと思われそうだけど、基準さえ定まれば判断に迷うことはない。
なんにしろスピーディにサクサク進むのは気持ちのいいことだ。

スピードを子供たちに求めることから発生している歪みについてパラパラ読んでいるのだが、現実に「遅い」人は使い物にならない。働けない。
なんらかの速度の訓練は昔から行われている。現代はそれが入試のほうにばかり集中していて、作業における速度が忘れられてるのじゃないかな?


8/8
素晴らしい夏空、激しい暑さ。


8/10
廿日市は極楽寺の山頂に睡蓮の群生があると聞いて朝6時から出かけた。
表側からは昔子供たちと登ったことがある。
裏側からの車の道も険しい。
山頂はなだらかになっていて蛇池という恐ろしげな池が睡蓮で埋め尽くされている。

不覚にも到着するまで「蓮」をイメージしていたので差異を修正するのに時間がかかった。
見事だ。そしてとても静かだ。朝の7時前だから誰もいない。

蜜蜂が睡蓮の花粉を集めて廻っている。
鯉が葉を揺らす。
香りを確かめたくて、いけないことだけど一輪の花を拝借した。

帰り道、とても眠い。女房もぼんやりしている。
40分で帰宅できたからよかったものの、居眠りしそうだった。
食事もとらずに眠りたかったが、サンドとジュースで朝食。
卓上の鉢に浮かんだ睡蓮の花を眺めながら
「睡」と「蓮」の意味についてハッとさせられた。

おそろしや催眠効果。
花を手折った報復を受けるところだったか。
国立公園での植物採集は大変な結果を生みます。

その後、2時間蝉の声を聞きながら眠る。

8/11

偏光サングラスをかけて工兵橋あたりを走っていたら、風景がすごくきれい。
草の緑がとくに輝き木漏れ日をいっそう魅力的なものにしている。
それをカメラに収めようとレンズの前にグラスを置いて撮影したが、結果が全く変わらない。

オートの設定が両者の差を消してしまうのだろうか?
ビデオが薄暗い風景も明るく写し撮ってしまうのと同じことか。
今更ながら眼で見ているものが撮影できていないことに消化不良のような気分の悪さを感じる。 画像はソフトで差を演出したもの。

県立美術館で児童画展を見る。
隣室の展示が墓場のように感じられるほど、子供の作品は強烈だ。
これと張り合えるのはピカソぐらいか。
なるほど・・・ようやくピカソの価値がオレにもわかってきたようだ。

昔から子供はいたのに、100年ぐらい前まではコドモが語られることは少なかった。
コドモの絵画の価値なんて無かった。
ひょっとしてコドモを大切にし過ぎている?
それとも親から切り離しすぎて、対応している?

でも少し前まで、大人はもっと子供だったような気もする。

8/14

ようやく雑用を終えたら、すでに世間はお盆というものに突入していて街はガランとしている。この時期に里帰りしたことは少ない。子供たちも帰らない。三男は八十八ヵ所巡礼に出ている。所在無く昼間からビールなど飲んで居眠りする。
勿論そんなことばかりしていたのでもない。

キリスト生誕の場面を人形で構成したものがクリスマスで飾られる。
そのミニチュアのコレクションをまとめて出版したいという近所の友人に撮影を申し出た。
山口のザビエル教会に所属するスペイン人の老シスターが集めたものという。
ヨーロッパはもとより南米からアフリカ、日本のものまで様々で、教義に従って配置し、光線を考え・・と、なかなか大変な作業になったが、撮影はとても楽しく疲れを感じない。

とくに最後に撮影したジオラマは油絵を描いているのと同じような感覚を味わえた。
カメラマンがいう「ブツ撮り」である。
光沢モノがなかったから助かったが、絞りやピント位置など難しいものである。
奥が深い。

 

バンコクに発つ前に実家に寄り、近所の東寺で蓮を見た。
あちらでは毎日の礼拝に欠かせないものなので市場やお寺ではツボミを見かけたが、意外や、咲いているところはあまり見かけなかった。

 今回は格安ツアーであるが現地集合なのでバンコクに着くまではチェックイン、旅券審査、全部自分でしなければならない。何人ぐらいになるのかも、さっぱりわからない。4泊して12回の食事が付いて49800円!信じられない。片道の航空運賃よりも安い。どうなっているのだろうか?
ツアーのメンバーは関西人ばかり。小学生のいる家族2組。中高年夫婦4組(我々を含めて)。母親と娘。そして女子大生ペア2組。時間もプライバシーも守る良識的な人ばかりで在り難い。
オプションは高く、これは現地ガイドの利ザヤになってるみたいだ。
自分で手配すれば半額以下になるが、ただしトラブルが生じることも覚悟しなければならない。
互いに下手な英語で交渉するから誤解だらけ。時には嫌な思いもするが、これも経験だ。

8000円プラスすればグレードを上げたリゾートホテルに泊まれるのだが、市内中心部からさらに離れるので俺にはメリットがない。観光スポットよりも、なんでもないそこら辺を見たい。そのほうが後々まで印象に残る。
安いほうでもそこそこのホテルだ。難波のホテルの4部屋分はある。10階の部屋からは迷路のような小路が見え,その鳥瞰イメージを頼りに滞在中は毎朝近所を歩いて回った。

夜明けの6時頃から店の準備が始まって車・バスが渋滞し始め7時には通勤・通学に坊さんの托鉢も加わって大変にぎやかになる。
農村部が急に都市化したという経緯が推測できるような道路の付き方。安佐南区の西原と同じだ。
ただし道幅はもっともっと狭い。人がすれ違えないようなところをバイクが走りこんでくる。
火事が起こったらどうするのだろう?バイクに消化器を積んでいるのか。

そんな迷路・小路を子供たちが通学してくる。バイクや自転車で送迎している親も多い。


だぶだぶの制服を着た子供たちがこじんまりした学校の校庭で体育座りをしたり、前の人の肩にまっすぐ手を伸ばす整列をやっていたり。
路地の奥には墓地も在って、大通りの喧騒が嘘のような木陰に老人が座って憩っている。あちこちの小枝に鳥籠が下げられてあり、コロコロという鳴き声が快い。
婆さんが話しかけてくる。「あんたら夫婦か、年はいくつや?」みたいなことだろう。
「長生きしてや、おばあちゃん」
托鉢の坊さんには商売人や警官まで喜捨を行い、排気ガスや騒音を背景に靴を脱いで膝まづき、お経を頂いている。過剰に資金が宗教に流れているようにも思える。

ドブ臭い密集住宅は懐かしい。実際に京都駅の周辺にはこういう「スラム」があった。
牛の頭をドラム缶で煮ている光景を記憶しているし、高校の時には牛乳配達の担当がこんな地域だった。
自分の家もさほど変わらないほどボロボロだったし、失われた故郷に戻ったようでもある。






ギンギラギンに装飾され彩色されたお寺が地味な庶民的風景の中で浮き上がっている。
日本で言えばパチンコ店のようだ。
しかし、200年の歳月で渋みがついた「暁の寺」とか、戦火に焼かれてレンガが露出したアユタヤの寺院では心がなごむ。
とりわけアユタヤでは青い空と赤いレンガの廃墟に緑陰の明暗が加わって、宗教的な畏怖の念を感じさせられた。

3回ほど前に、大阪は新世界の没落について書いた。
そのことを関西出身の同僚に話したら意外な答えが返ってきた。
何度か子供をつれて通天閣を訪れたが、いつも長蛇の列で待てないほど、周囲の串カツ屋もごった返しているという。あまりの違いに驚かされる。
オレが行ったときは誰もいなかった。怖くなるほどで、極めて安い串カツ屋も入れる雰囲気ではなかった。金曜の夜、日本橋も難波も賑わっていたのだが・・

旅の印象とはそんなものかもしれない。
ちょっと見ただけですべてを知ったようなことを言う。
ま、その軽さが旅の良さではあるのだけど。

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