利用方法
利用は、館内閲覧と文献複写となっております。(※一部複写不可)
貸出はしておりません。
館内閲覧
直接来館して閲覧する場合、来館時『三島由紀夫文庫の利用について』に閲覧希望資料名・お名前・所属等をご記入していただく必要があります。
来館の際は、事前にお申し込みください。
文献複写
個人による電話、メール、郵便による文献複写受付は行っておりません。
図書館を通しての複写申込みか、直接ご来館ください。
来館して複写希望の場合は、館内にある「文献複写申込書」にご記入ください。
複写は、原則として館員が行います。(1枚 30円)
比治山大学になぜ、「三島由紀夫文庫」があるのか。
三島由紀夫の学習院中等科時代の恩師で、ペンネーム三島由紀夫の名づけ親でもある清水文雄は、 昭和42年(1967)から平成2年(1990)まで、比治山女子短期大学教授のち学長を務めた。二人の師弟関係は、三島が衝撃的な死を遂げるまで、変わることはなかったという。
その清水文雄旧蔵の三島関連資料280点を礎に、平成5年(1993)に「三島由紀夫文庫」が、本学に設置された。翌年には、三島瑤子夫人から、海外の翻訳書などの寄贈を受け、 「文庫」は更に充実した。現在も、三島関係の資料の収集・整備をはかっており、三島由紀夫研究の貴重なコレクションとなっている。

- 明治36年(1903)
- 熊本県球磨郡に生まれる。
- 昭和 4年(1929)
- 26歳
- 広島文理科大学に入学する。
- 昭和13年(1938)
- 35歳
- 学習院講師のち教授となる。中等科2年に平岡公威(のちの三島由紀夫)在学。
- 昭和16年(1941)
- 38歳
- 平岡公威に三島由紀夫のペンネームをつける。
- 昭和24年(1949)
- 46歳
- 広島大学教授となる。
- 昭和42年(1967)
- 64歳
- 広島大学を定年退職。比治山女子短期大学教授となる。
- 昭和45年(1970)
- 67歳
- 11月25日 三島由紀夫自害の悲報をうける。
- 昭和56年(1981)
- 78歳
- 比治山女子短期大学第2代学長となる。
- 平成 2年(1990)
- 87歳
- 比治山女子短期大学学長職を辞す。
- 平成10年(1998)
- 2月4日永眠。享年94歳
孤島の若者 -『潮騒』の作家三島由紀夫へ-
待ち受ける-といえば、今までの貴君のどの作品よりも熱心に待っていた力作『潮騒』、 去る六月十一日、たしかに落掌しました。いつもながらの御厚情、深謝します。 さっそく通読しました。強い感動をうけました。すぐに礼状を出すべきでしたが、 読後感めいたものを多少でも付け加えるのが、礼にかなっていると思い、それには、 この感動のよってきたるところを、ある程度つきとめる必要があり、 つい心ならずも延引してしまいました。どうか悪しからず。
(略)ともかく、小生がこの数年来もちつづけた主題が、三島由紀夫に本質する発想と 方法によって実に見事に造形されていることを知った歓びで、胸がいっぱいです。 こんなうけとり方は、随分勝手な理解だといわれるのは覚悟の前ですが、小生にとっては、 これはこれでいいのだと思います。 以上、礼状のつもりで筆を執ったのですが、結果は不得要領な感想文になりました。 昔のよしみで、失礼をも省みず書いてみたままです。御判読を乞う次第です。 最後に、貴君の存分の御活躍を心からお祈りします。 (二十九・七)
『河の音 抄』より
発行年 昭和61年1月15日
発行所 比治山女子短期大学