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現代文化学部|マスコミュニケーション学科

学科ニュース

「文化の破壊」原爆に怒り

2021年09月29日 カテゴリー:学科紹介

 「世界遺産の観光学Ⅱ」で、爆心地のCG復元に取り組んだ映像作家田辺雅章さん(84)=写真=を招いた。昨年はコロナで見送ったので2年ぶりとなる。過去の講演はそれぞれ学科ブログに詳録しているので、今回は、ダブらない範囲で印象に残った話を書き留めておきたい。

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すべて一次資料から復元

 痛烈に感じたのは、「真実に基づく」という表現者としての矜持だった。
 爆心地の復元映像づくりでいうと、例えば焼失した家の大きさの確定だ。
 まず猿楽町(現原爆ドーム付近)の地図から作っていくのだが、生き残った人の話をそのまま足していくと、福屋の方まで町の面積が広がってしまう。自宅をみんなが大きめに申告したからと思われる。
 幼児だったからそう見えたのかもしれないが、「そんなに大きくなかったはず」と否定はしにくい。そこで、50メートルおきに立つ電柱を、地図の基準にすることを思いついた。
 「家のどこに電柱がありましたか」「じゃあ、間口は4間(けん)ではなく3間ですね」
 という具合に詰めていった。
 聞いた人の話が、どうも違うのではないかと思い始めると「気が狂いそう」になって、たまらずに、それだけのためにアメリカの国立公文書館に調べ物をしに行ったこともある。
 投下時の音響も、真実に近づけようとした。
 砂漠での核実験の音は記録されているが、三方が山に囲まれている広島とは条件が違う。学生の時に勉強した音響電気学の知識を生かして、データを補正した。講演を聞いたNHKの技術陣から「そこまでやるか」と驚かれた。
 「徹底的に調べ、すべて一次情報に基づいて作ったのがこの映画。作品を発表すると、後からオーバーではないかなどいろいろ言われることがあるが、何を聞かれてもきちんと答えられる。当事者だからこそ(誤りがあってはいけないという)責任感を背中に負って仕事をしてきた」


遊郭の犠牲者、記録もなし

 事実へのこだわりは、空白のまま放置されているものをあぶり出すエネルギーにも転じる。
 例えば、戦前にぎやかだった遊郭。土橋、流川、薬研堀などに散在し、数千人はいたのではないかと推定する。しかし日の当たる職業でなかったためか、当時を知る手掛かりは何一つない。名残はお寺に残る無縁墓ぐらいだ。
 大勢を収容していた陸軍病院もそう。前線から帰って治療を受けていた人たちや、見舞いに来ていた家族もいる。あるいは演習をしていた新兵。そうした人たちは「行方不明」とされるが、死亡の員数に入っていない。
 1945年末までの死亡者は14万人±2万人―が公式見解。10万人とも推定される不明者が放置されていることに、激しい憤りを感じている。
 映像のそこここに「不明者」という言葉が出てくる。講演を聞いて、あらためてそのナレーションに込めたものが伝わってきた。

 60歳からCGによる爆心復元に取り掛かり、24年で6作品を完成させた。
 聞き取りに訪ねた人は全国で650人。相手は「おお、田辺の息子は生きとったんか」と驚き、話はいきなり核心に及んだ。一取材者とは違う濃密なインタビューを積み重ねる。
 一方で米国では、国立公文書館に何回も通ったり、ハリウッドでCGの勉強もしたりした。膨大なエネルギーを注ぎ込み、かけた費用も数億円に上る。
 それでも「作ってよかった。世界中に実態を知らせることができた」という。爆心近くの生き残りはもう10人足らず。映画に登場する人はほとんど故人で、映像を見終わって「この人も、この人も…」と声を詰まらせた。


謡の声が響いた猿楽町

 今、打ち込んでいるのは、この11月にドームの横で催す「爆心地鎮魂薪能」。ここには「伝統文化を破壊された」というもう一つの怨恨が横たわる。
 自宅のあった猿楽町は、その名からも連想されるように能の盛んな町だった。路地を歩けば謡の声が響き、京都を思わせるような風情だったという。

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 たどれば浅野家とともに和歌山県田辺市から移ってきた家柄。先祖は喜多流の能を、武士の素養として稽古していたと思われる。
 ところが原爆は、能をはじめとした伝統の伝承者を奪い、芸の根を枯らした。せめてこういう形でも、と企画したのが薪能である。
 国連本部には招待状を送った=写真は英文パンフ。バイデン大統領にも私信を届けられないか、考えをめぐらせている。
 振り返れば、原爆と格闘してきた。自分がやらなければ、という義務感、焦燥感もあった。しかしこのままでは「原爆の子」で終わってしまう。心から自分がしたかったことは何かを考えて、たどり着いたのが薪能である。「志を全うする人生」に思いを致す。

 「今したいことは何?」。話し終えて学生に尋ねた。
 「課題を片付けたい」「旅行に行きたい」「漫画を読みたい」…
 当時はどうだったか。
 「勉強?できません。旅行?できません。漫画?リアルに書けないので、『のらくろ』のようなものしか書けません。想像できないかもしれないが、いかに戦争に協力して死ぬか、という時代でした」
 ぬるい生活を送っているわれわれに、せめて想像力を持ち、二度とこういう非人間的な時代をよみがえらせるな、といわれているようである。
 数年前からずっと同じことを言われているが、今年は特に響いた。世界で独裁・強権政権が増えている。
 気が付くと、日本でも、学術会議の人事で菅首相が気に入らない人をパージし、しかも説明すら拒否するという信じられないことが、まかり通っている。数々の歯止めが次々に外れて、実質的に、独裁とまでは言わぬが「恣意」の体制になっている。
 過去と現在が地続きであること、傍観していると吞み込まれてしまうことに、学生がどこまで気が付いてくれるか。こちらにも「戦後責任」を問われているような話だった。            

石田 信夫

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